デラシネの時代 -Englishman In New York-
6月20日は、世界難民の日(World Refugee Day)でした。この日は、紛争や迫害から逃れることを余儀なくされた人々の、苦境に立ち向かう勇気を称える日として、国連によって定められました。この日を設ける事で、世界中で苦しんでいる難民の人達に対する理解と共感を深めて彼らの保護と援助に対する世界的な関心を高めたい、その様な国連の切なる思いからこの日はつくられたそうです。皆さんは、難民の人達について、どう思っていますか?関心はありますか?私と言えば、難民という“とても弱い立場”の人達の事は知識としては持っていましたが、日々生きていくのに一生懸命で、そして、自分や自分の家族、そして親しい人達の事を考える事で精一杯で、国を棄てなければならなかった人達、国から不当に追われた人達、こうした人達の存在にまで頭が回っていませんでした。
難民の問題は、本年の通常国会に、改正出入国・難民認定法の法案が提出されたことで、世間の関心を集める事になりましたよね。今国会の論戦は、なんだか淡々と過ぎていった印象でしたが、改正入管難民法の審議については、与野党での熱い議論が行われていました。国会での質疑でエビデンスがない事を発言してしまい、泣きながら自分の正当性を訴えていたアンポンタン議員(特に名は秘す)もいましたね。「国会は、小学校のホームルームじゃねえぞ!」と思ってしまいますよね。今回の改正入管難民法のポイントは、皆さんご存じの通り、難民申請に回数制限を設けるという点です。現行の運用では、難民申請は何度でも繰り返し行う事が出来る事になっています。そして難民申請をしている限り、その人がどの様な背景を持っている人物であっても、いわゆる強制退去は出来ない事になっているそうです。なので、日本に不法滞在となっている人達が、日本に留まる為に何度も申請を繰り返しているという事案が多数見受けられるそうです。そして、その中には犯罪者も含まれていて、社会問題となっている様です。そこで、”申請の回数に上限を設けて、原則として2回申請しても受理されなければ強制退去をする事が出来る様にする”、つまり、不法滞在者を出来るだけ早く国外退去にする事を目的としているのが今回の法案です。実は同じ内容の法案が2021年に国会に提出されていました。そしてその法案は、国会で審議されている真最中に、とても可哀そうなスリランカ女性が、収容されていた名古屋入管在留管理局で死亡するという不幸なな事件が大きく報道されて、結局審議は見送られることになったという、曰く付きの法案なのです。この法案の中身については、ボーっと生きていていつもチコちゃんに叱られている私としては、特に問題がない法案の様に見えますが、リベラルな野党の人達や移民・難民支援を行っている皆さんにとっては大問題である様です。参議院法務委員会での採決の時は大変な騒ぎでしたよね。委員長席を取り囲んで大声で喚いているポンコツ議員や、暴れまわっている低能議員をみていると、「こんな奴らが、ワシらの代表かよ。こんなしょうもない事よりも、もっとやる事があるやろう!」と思ってしまって、情けなくなってしまいましたね。
今回の法案を問題視する人達の意見は、幾つかあげられていますが、論点を集約すると、そもそも日本は難民受け入れのハードルが非常に高い国であるという事ではないでしょうか。何せ、日本の難民受け入れ数は、2021年の実績で74名、認定率0.7%という非常に少ない数で、38918人のドイツや、32571人のフランスと比較すると極端に狭き門である事が一目瞭然です。日本は、周辺が海で囲まれているという立地条件から、難民として頼って来る外国人の人達は、国境線が陸続きの欧米諸国などと比較して必ずしも多くはないという状況ですよね。しかし、そこには、地政学的な要因に加えて、日本が難民受け入れに消極的であるという評判が作用している可能性も高いと思われます。以前から、日本の難民認定審査は厳格すぎて、実情にそぐわないといった意見がある様です。国連難民高等弁務官事務局からは、何度となく苦言を呈されている様ですが、日本政府としては、難民条約に掲げられている難民の基準を厳格に守っているという言い分である様です。しかし、その運用は、素人の私が見てもあまりにも杓子定規に運用しすぎている様に感じられます。例えば、日本政府は、紛争地から逃げて来た人達を難民としては認めていません。紛争地から逃れて来た人達、例えばウクライナの人達は、難民としては認定されずに、法務大臣が特別に許可を出す“避難民”という扱いで日本に受け入れているという現状です。
この様な、厳格すぎる制度の運用とともに問題視されているのは、難民審査が適正に行われているかどうかという点です。難民申請が行われると、まず最初に、入管庁の難民審査官が調査及び審査を行う事になっている様です。そこで不認可となった場合は、それを不服として審査請求を行う事が出来ます。その場合、難民審査参与員という人達が3人一組で審査をするという建付けになっているそうです。この人達は、学者や元外交官、国際協力団体の関係者などから選ばれていて、一見するとそれらしい肩書の人達の様な気がしますが、この件を専門に扱っているプロパーではなく、皆様一様に非常勤である様です。言い方は悪いのですが、本職の片手間で審査業務にあたっているのですね。そして、難民受け入れの活動を行っている人達は、まさにこの点を問題視しています。参与員の人達は、きちんと申請者の状況やバックグランドを把握して審査をしているのか。そして申請者に対する人道的な配慮をきちんと行っているのか。例えば、面接の際はきちんとその人の母国語の通訳を付けて、微妙な表現や仔細な点まで聞き取る様努めているのか。その人が本国に送還されたら一体どうなってしまうのかをきちんと考慮しているのか。などなど、参与員の皆さんが、只々機械的に流れ作業の様に認定作業をしているのではないのか?この様な点に疑問の声を上げている様です。
一方で、この法律改正に賛成で、積極的な人達も少なからず存在しています。その人達の言い分としては、難民申請をしている外国人の多くは、強制退去の対象となっている不法滞在者であり、退去されない様に難民申請をしている送還忌避者であるという意見である様です。加えて現在の法の建付けでは、難民申請中の人には、特定活動という形での日本での就労が認められています。つまり、難民申請さえしておけば、国外退去になる事はなく、合法的に日本で就労する事さえも可能になるという事なのですね。制度が悪用されていると考えられる例は、後を絶たない様です。そして、難民申請中の人の半数近く(1133人/2413人:2021年実績)は、日本での犯罪歴がある人であるというデータが出ていて、難民申請=不法滞在者=不良外人というイメージがあるようです。確かにこの数字だけ見ていると、現行の法律の建付けでは不十分だと感じてしまいますよね。犯罪者予備軍の様な人達や実際に犯罪に手を染めた人達(強制性交や強盗などの凶悪犯も含む)が、難民申請を行うだけで日本滞在が許されているのであれば、「早く何とかしてくれい!」と思ってしまうのが人情ですよね。
この法案に対する反対の声に拍車をかけているのが、入官庁職員の不適切な行動です。皆さん、前述したスリランカ人女性の死亡事件についてはよくご存じの事と思います。語学留学生として夢を持って来日したのに、悪い男に騙されて不法滞在者となってしまった彼女は、入管施設に勾留されている最中に体調不良となり、十分な手当てを受けることなくお亡くなりになりました。後に、勾留中の彼女の様子を録画した監視カメラの映像が公開されて、彼女がどの様な扱いを受けていたのかが明らかになりました。公開された画像では、この件に関わった担当者達が、彼女を人間扱いしていなかったことが明確に描写されていました。私は、日本の役所にこんなクズの様な人間達がいるのか?とびっくりしてしまい、胸が悪くなりました。たとえ不法滞在者で、勾留の対象者であっても、こいつらの様な人権も何もあったものではない扱いはするべきではないし、ましてや体調不良を訴えている相手にまともに取り合わないなんて、あってはならない事だと思いますよね。この画像については、国会の質疑で法務大臣が「一部を切り取った画像であって、必ずしも全てが正確であるわけではない」なんて言い訳の答弁をしていましたが、たとえ一部を切り取った画像であっても、そこに描写されている光景は真実であり、この件に関わった入管職員達は史上最悪のクズ人間であることに変わりはないと思います。そして、それは名古屋入管の一部職員に特異的な事例ではなく、全国あまねく入管という組織がこういった体質をもっているのではないかという疑いを持たせるに足るインパクトがある画像でした。こいつらは全員、「入管に収監されるような外国人は、どうせろくな奴じゃあないよな」なんていう偏見に満ちた考えを持っていて、心の底ではそういった人々を馬鹿にしているのではないか?という疑い(偏見)を私は持ってしまっています。真面目に職務をまっとうしている入管職員の人達には申し訳ないのですが、真っ白な布も、一部が黒く汚れていると全体が汚く映ってしまうのです。本来は、可哀そうなスリランカ女性の事件と、今回の難民申請に回数制限を設ける法案とは関係がない事案なのですが、こんな組織ではなく信用できる機関できちんと審査して欲しいという反対者の人達の気持ちは理解できますよね。そして、問題点はまさにその点にあると私には感じられます。今回の法案と、その周辺にある外国人滞在者の様々な問題を俯瞰して考えると、難民審査の回数ではなくて、審査がきちんと適正に、国際標準で行われているのかという点がまさに問題の本質なのだと、私は思います。
そういった意味では、残念であったのは、某政党(特に名は秘す)の今回の国会対応でした。某野党は、今回の法案に対する対案として、難民申請に関して、独立した第三者機関による審査を加える様に訴えていました。私には、この案は現実に即していて、大変いい案に見えたので、「いつもは屁理屈ばかりこねているボンクラ政党も、たまにはいい事を言うなあ」などと感心していましたね。実際に、衆院での採決前に与野党の協議が行われ、与党は某ボンクラ政党の案を部分的に呑んで、第三者機関の設置を検討するという附則を法案に付ける事で合意が為されました。しかし、某ボンクラ政党は、与党からの申し出を蹴っ飛ばして、採決に全面的に反対に回ってしまいました。(支持団体や支援団体の皆様からの猛烈な反対があったと側聞しています)私は、この報道を聞いて、「本当にこのヒト達は、ボンクラなだけでなくインケツでどうしょうもない奴らだなあ」と改めて思いながら、「感心して損をこいたわい」と己の不明を恥じてしまいましたね。結局、この法案から「第三者機関設置」という附則は、消えてなくなってしまいました。しかし某インケツ政党も能無しですが、与党も品性下劣な便所虫ですよね。修正協議で能無し政党の案を呑んだのは、党利党略だけではなく、そこに検討すべき点が見い出されたからである筈なのですが、インケツ軍団が反対に回った途端にそれを全てご破算にしてしまうのは、いかにも品が無いやり方ですよね。この事だけでも、こいつら全員、対象となっている難民申請をしている外国人の人達の事など一切考えてはなくて、己の党利党略のことしか考えていないという事が明らかですよね。附則とはいえ法律に付帯事項として第三者機関の設置の検討という項目が盛り込まれるという事は、重い決定となるはずで、それは現状を変える切掛けになったのではないかという思いが私にはあります。参議院の採決で騒いでいる議員達を、ポンコツだの低能だのと、ひどい言い方をした理由はここにあります。返す返すも、インケツ集団の能無し振りにはあきれ果ててしまいますし、便所虫軍団の下品な振る舞いにもがっかりさせられますよね。
他国における難民受け入れは、どの様な状況なのでしょうか。フランスは、前述した通り、多くの難民を受け入れている国の一つです。伝統的にフランス政府は、移民や難民に寛容な政策を採って来ました。しかし、近年では、移民問題が社会問題化していて、移民排斥を訴える極右政党が支持を伸ばしている状況です。その様な現状のなかで、フランス政府は、2019年に「移民・難民・同化政策の改善に向けた20の政策措置」を発表しました。その中には、難民審査機関の大幅増員、難民や不法移民向けの医療援助制度の厳格化といった措置が含まれています。審査機関の大幅増員の目的は、難民審査を迅速化するとともに、不法滞在者については可及的速やかに国外に退去してもらうという思惑もある様です。そして、医療援助制度の厳格化についても、制度を厳格に運営する事で、社会保障制度を必要な人には確実に届ける事とともに、不法滞在者に対して不法に社会保障制度が運用されることを防ぐ狙いがある様ですね。日本と同じ島国であるイギリスもフランスと似た状況である様です。イギリスは、難民への門戸は日本より開かれていて、多様性を認める文化を持っている国ですが、それでも近年、移民・難民問題は大きな国内問題になっていて、移民・難民の排斥を訴える人達が増えている様ですね。制度にも多くの制限が設けられて、例えば、明らかに根拠がない主張をしている難民申請者については、不服申し立てを認めず、速やかに国外退去にしてしまうNSAという制度が採用されています。言い方は悪いのですが、「ごね得は許さへんで」という事の様ですね。問題が多い制度であるという批判もある様ですが、不法滞在者に対する政府の毅然とした態度が感じられます。本年には、ドーバー海峡をボートで渡ってくる不法移民については、有無を言わせずに強制退去させて、二度とイギリスへの入国は認めないという、力業でやけくそな法案も審議されています。「ボートで入国してくるような奴らは、どうせロクなモンじゃねえよ」という事なのでしょうか。いずれの国でも、難民保護という善意の行動と自国第一というナショナリズムの間には、ある種の葛藤がある様で、綺麗事ばかりで済ます事が出来ない事情がある様ですね。
今後日本は、難民や移民の問題とどう向き合っていくのでしょうか?世界は本当に嫌なところで、ろくでもない国やどうしょうもない地域がいくつもあります。寒い国の狂った土佐犬野郎や、中東で内戦只今真最中のあの国を牛耳っている、史上最悪の糞転がし人間のエンピツ大統領など、一刻も早くこの世の中から退場して欲しい奴らが治めている国からは、誰だって速攻で逃げ出したくなりますよね。そんな国や地域で苦しめられている沢山の人達に救いの手を差し伸べる事は、豊かに暮らしている私達の責任だという事は、昼行燈の私でもわかります。紛争や差別・迫害といった理由で母国にいられなくなった難民の人達に対する支援は当然行わなければなりませんが、しかし、豊かな暮らしを求めて入国を希望している、いわゆる移民の人達に対しては、一定の線を引いておく必要があるとも思っています。私は、難民や移民といった社会問題についてはズブの素人で、国際問題についても無知蒙昧の輩です。こんな私ですが、自国が無茶苦茶で将来を見出す事が出来ずに国を棄てる人達の気持ちは、理解出来る様な気がします。最貧国の人達が、豊かな暮らしを夢見て他国を目指す気持ちも分かる様な気がします。しかし、正直なところ、そういった人達が、非合法に、そして無秩序に自国に来て欲しくないという料簡が狭い考えも持っています。TVのニュースで報じられている、山の様に人を乗せてヨーロッパに向かう地中海の難民船や、アメリカ国境を目指して大勢で行進をしている人達、そんな人達を見ていると、「あの人達は、日本には来て欲しくないなあ」という薄情な考えが浮かんでしまいます。偉そうな事を書いていますが、私は心が狭い小っちゃい奴なのです。随分長い事生きてきていて、様々な人生経験も積んできている筈なのですが、正しい道が未だに分からずに、ぐずぐず悩んで考え込んでいるへなちょこ野郎なのです。「こんな薄っぺらな人間が、無責任な事を言うのはなんだかなあ」という気がして心が痛むのですが、「思考停止で何も考えないでいるよりも、面倒くさい事であってもあれこれと考えている方が100倍ましだよな」と自分で自分を慰めてしまったのでした。
Englishman In New York:故郷の国を棄てなければならなかった人達、根無し草の暮らしを余儀なくされている人達、そんな人達の事を考えながら・・・・
Englishman In New Yorkは、元PoliceのStingが1987年に発表した2枚目のアルバム、Nothing Like The Sunに収録されている曲です。有名なジャズミュージシャンであるBranford Marsalisが奏でるソプラノ・サキソフォンの悲しげな音色が印象的な、とても美しい、そして哀愁漂うメロディの曲です。スティングは、この曲を、友人であるイギリス人作家、クエンティン・クリスブの為につくったと語っています。この人は、イギリスのゲイ・カルチャーのアイコンで、その事が原因で彼がアメリカに移り住む事になった時に、彼に捧げる為にこの曲を書き下ろしたそうです。この曲からは、頑固なイングランド人が頑なに自分の習慣や好みに拘っている様子が描写されています。「私は紅茶しか飲まないし、トーストは片面しか焼かないんだ。コーヒーなんて不味いものが好きで、焼き過ぎのパンでも平気で食べている野蛮人とは違うんだ」なんていう、鼻持ちならないジョンブル野郎の姿がこの歌詞からは感じられます。しかし、そんな悪態の背後には、自分が親しんできた国を離れなければならなかった悲しみを垣間見る事が出来ます。当時のイギリスには、ゲイである彼は、住み続ける事が出来なかったのです。曲の中では、「自分は合法的な異邦人」と歌われていましたが、彼は当時在留許可が下りていない状態であり、彼の切なる望みをスティングはこのLyricで表現したのかもしれません。私には、国を棄てるという事がどういう事なのか、想像する事が出来ません。しかし、国を離れなけなければならない人達が持っているであろう悲しみや葛藤は、何となくわかる様な気がします。私は、父親が、転勤が多い仕事に就いていた為に、小・中学校の時に何度も転校を経験しました。難民の人達とは比べものになりませんが、こうした経験は、私にとっては辛いものでしたね。6月20日の夜は、日本中のランドマークが、国連の色であるブルーにライトアップされました。「願わくば一人でも多くの人が、国を追われて辛い思いをしている人達に思いを寄せて、何か自分に出来る事はないのかという事を考えて欲しいもんだよね」などと、青く照らされた明石海峡大橋を見ながら、柄にもなく考え込んでしまったのでした。
この様な駄文を最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
皆様にとって明日が今日よりも良い日になります様に。