ひとにぎりの未来 -I Wouldn't Want To Be Like You-
最近、大いに世間の話題を集めているチャットGPTですが、皆さん、もうお使いになりましたか?私は、大阪弁で言うところの“イチビリ”なので、どんなモノかは使ってみなければわからないと思って、とりあえずアカウントをつくって使っています。とは言え、高尚な事には一切使っておらず、主に歴史の下らない疑問をチャットGPTに質問をして遊んでいます。例えば、「何故明智光秀は織田信長を裏切って謀反をしたのですか?」という質問をすると、このお方は尋ねられた事には、もっともらしい事を、まるで人間様が喋っているかの様に答えてくれます。答えのパターンは概ね、「その質問に対しては諸説ありますが、はっきりとした理由は分かっていません。現在は次の3点が有力な説として考えられています。云々」という無難な定型文で答えてくれます。何だか優等生過ぎて、腹が立ってきますよね。そんな訳で、私は意地悪な心がむくむくと出てきてしまって、“何でや攻撃”をチャットGPT君に仕掛けてしまいました。"何でや攻撃"とは、「なんで光秀は、自分を引き上げてくれた信長を殺してしまったのですか?」「なんで光秀は我慢ができなかったのですか?」「なんで?」「なんで?」と、果てしなく「なんで?」という質問のループを続ける事です。この不毛なやり取りは、会社員時代のある上司の得意技でした。その人は、神経質で粘着質という厄介な気質で、おまけに、他人を論破するのが大好きという恐るべき性格の持ち主でした。そして、何かにつけて「それは何でや?」と自分が納得いくまで攻めこんでくる“何でや人間”であったのです。私が仕事の報告でこの上司の席に行くと、彼はいつも席に座ったまま、眼鏡の上から上目遣いに私の顔を見上げて、「何でや?」と尋ねてきたものでした。失敗や上手くいかなかった仕事の報告で”何でや攻撃”にさらされるのはまだ我慢が出来るのですが、通常の仕事の経過報告や仕事が上手くいった時の報告で”何でや攻撃”を受けると、メンタルに相当なダメージが残ってしまうのです。私は、仕事の経過については話を盛って報告するという大変よろしくない癖を持っていたので、この”何でや攻撃”をされると、いつでも盛った部分がバレてしまうので、其の度に不貞腐れて、心の中で「いつかしばいたるぞ!」などと不穏な事を考えていたものでした。しかしながら、チャットGPTは、いくら私が”何でや攻撃”をしても、冷静さを保ったままで、不貞腐れる事もなく、乱暴な言葉遣いは絶対に使わずに、辛抱強くそれらしい答え(嘘も混じりますが)を必ず返してくれます。
皆さんご存じの通り、チャットGPTは、アメリカのOpen AIという非営利法人で開発されました。Open AIは、2015年にサンフランシスコで設立された、大変新しい組織で、その立ち上げには、現CEOのサム・アルトマンと、あのイーロン・マスク大先生も関わっていました。イーロン・マスク先生は2年で見切りをつけて足抜けをしたようですが、アルトマン青年はコツコツと開発を続けて、この画期的な技術を世に出した様ですね。チャットGPTは、いわゆる生成系AIと呼ばれているAIモデルを用いたソフトウエアです。生成系AIとはなんぞや?と申しますと、文字通り新しいものを作り出すAIといった様な意味の様ですね。AI様がインターネットの中に納まっている大量の記録から学習をして、そこから新しいアウトプット(画像や文章、プログラムや計算式、ありとあらゆるものの様ですね)を作り出すという事の様ですね。GPTと聞くと私達おやじ連中は、血液検査の検査項目である肝臓の酵素の値が頭に浮かぶのですが、この場合はGenerative Pretrained Transformerの略なのだそうです。英語音痴が和訳すると「生成的な事前訓練を受けた転換者」となりますが、実際はOpenAIが開発した、大規模言語モデルの事を指しているのだそうです。大規模言語モデルなどと言われたら、なんだか大層な代物の様に思えてしまうのですが、思いっきり端折って言うと、AIが人間の発する言語を理解して、それを人間の言葉で返答する技術という事の様ですね。何故、こんな事が可能になるのかというと、近年、AIにディープ・ラーニング(深層学習)という、AI自身が学んで進化していくという技術が取り入れられているからなのだそうです。そしてその学習モデルは、ニューラルネットワークという、人間の脳機能の特性をコンピューター上でシュミレーションをしながら学習をするという技術を用いているのだそうです。そして、インターネットの中に溢れている膨大な情報、記録やコンテンツを事前に学習したAIが、人間の話す言葉をその出現確率から予測をして、まるで人間が話している様に文章にするという代物の様です。実際に使った事がある人は分かっていただけると思いますが、与えられた質問に対しては、本当に分かりやすい言葉で論理的に順序だてて答えてくれますよね。
いつのまにか私達の身の周りには、AIであふれていますよね。2016年には、Google Deep Mindが開発した囲碁ソフト、「AlphaGo」が、囲碁のトッププロに勝利して、世間に大きな衝撃をもたらしましたよね。今や将棋の世界でも、AI様が最善手を素早く提示してくれていて、その能力はトッププロを凌駕するなんて事が言われていますよね。ゴキちゃんの様に床を這い回る自動掃除機は既に市民権を得ていて、私の知り合いにも愛用者が増えてきています。車には、オート・パイロットなるものが搭載されて、運転や縦列駐車まで自動でやってくれる車種もある様です。AI様は、人間が話しかけた言葉も理解して、反応する様になりました。2011年には、iPhone4SにSiriが搭載されました。その後、OKグーグルやAmazonのアレクサなどのAIアシスタントは、普通に我々の周りに存在するようになりましたよね。近年では多くの企業が、コールセンター業務に“チャットボット”なる、AIが問い合わせに対応してくれる技術を導入している様です。既に、社内コールセンターからカスタマーサービスに至るまで、この新しい技術を使っている企業が増えて来ましたよね。現在の技術は、簡単なFAQ(定型的な質問)であればAI様で十分対応できるレベルにまで到達している様ですね。
既に日本の企業でも、チャットAIを導入して、社内のシステムに組み合わせて活用している会社がある様です。私が視聴したNHKの番組では、そのシステムを実際に活用している企業の社員の人達の発言が紹介されていました。ある人はプレゼンテーションの台本を作成したり、議事録の作成に利用していて、どんな質問にも返答してくれるので業務が劇的に楽になったと言っていました。ある人は、社内研修で使用する試験問題をGPTで作成したと言っていました。難しい法律の設問でも、問題なく使う事が出来る文章を作ってくれたと高く評価していましたね。実際にGPTの機能は、質問に対する回答に留まらず、文章の執筆や要約、仕事のアイディア出し、そしてなんとプログラミングコードの作成まで可能である様です。お役所でも、試験的に採用すると表明する自治体が登場していますよね。先日、横須賀市は、全国で初めて、現在運用している“LoGoチャット”というビジネスシステムにチャットGPIを組み込んで、試験的に業務に活用していく事を発表しました。1か月間、文章の作成や要約、アイディア出しに活用して、その使い勝手について検証するのだそうです。市の担当者の人は、かなりの手ごたえを感じていて、チャットGPTを上手く活用すれば、10人で行っていた業務が8人で行えるようになるという感覚であると言っていました。市長も鼻を膨らませて、「業務を効率化して、その分を人に向き合う仕事に振り向ける」と自信満々におっしゃっていました。
教育の分野では、チャットGPTの利用に関して様々な議論がされています。作文や小論文などの作成については、チャットGPTの成力は絶大で、多くの学生さん達が、ちゃっかりこの技術を使っている様です。文部科学省は、教育現場でのチャットGPTの利用に関しては現在様子見といったところで、おっとり刀で、「教育現場におけるチャットGPTの取り扱いの指針について、今後取り纏めを行う」などと悠長な事を言っています。大学に関しては、各校とも、チャットGPTの活用に関して概ね限定的である様ですね。各校とも、学位論文やレポートでの活用については認めていない様で、群馬大学では、使用が発覚した場合は退学(!)なんて事を表明しています。しかし、学生さん達も、チャットGPTが出した答えをそのまま転記するなんていう馬鹿な事をするわけは無く、上手にアレンジしながら文章を展開している筈ですよね。実際に、ある大学の教授は、昨年12月にチャットGPTが世に出て以来、あきらかに学生が書くレポートの質が上がったと発言しています。そして、その内容は、熟読してもこの技術を利用したかどうかの判断はつかないと語っていました。
現在の様々な媒体での論調を俯瞰していると、濃淡はありますが、一様に皆様この技術については使用しない選択肢は無いという認識の様ですね。様々なリスクに対する懸念については、いろいろな意見がある様です。最も懸念されるところである、犯罪に利用される様なアウトプットについては、それなりの対応はされていて、それは日々更新されている様です。他にも、著作権の問題やフェイクニュース拡散の問題など様々なリスクを内包していて、それらは今後の課題とされています。各国政府においても、この技術の利用に関して、どの様に活用していくのか、どの様な規制を行うのか、様々な検討が行われている様です。6月に広島で行われるサミットにおいても、議題として話し合われる様ですね。しかし、誰が何と言おうと、この技術は間違いなく世界中に広がっていく事になるでしょうね。実際、Open AIだけでなく、GoogleやMicrosoftといったITの巨人達も、生成系AIは既にリリースしていますし、他のIT企業も商用化について既に多くの表明が為されています。今後は、GoogleのworkspaceやMSのOfficeのソフト上でも生成系AIが活用できる事になる様です。
今や、文学賞でもAIを利用して書き上げた小説が入賞をしています。日本経済新聞社が主催している“星新一賞”という文学賞は、人間以外の作品でもOKというレギュレーションを採用しているそうです。そして、2022年度の一般部門の最優秀賞は、葦沢かもめさんの「あなたはそこにいますか?」という作品が受賞しました。葦沢さんは、この作品を生成系AIを用いて創ったとおっしゃられています。創作方法は、アイディアは葦沢さんが出して、AIに文章を作製させて、物語の骨子を作ってもらって、それをAIとの対話を重ねながら作品として完成させていったとおっしゃっていました。この技術を評価して、どんどん使っていくべきだと推奨している人達は、一様にこの技術はあくまでも道具であって、使いこなしていくのは人間なのだという趣旨の発言をされていますね。確かにこの技術は、物事を作り上げていく際のプロセスを大幅に効率化してくれます。そして、効率化する事が出来た手間暇の時間は、出来上がりの完成度を高める事に振り分けることも可能にします。しかし、この技術を使いこなしていくには、的確で要領を得た要求を正確に行っていく必要があります。葦沢さんの様に、AIと対話を重ねるというプロセスも必要になるでしょうね。要は、技術を使いこなすのはあくまでも人間であるという事なのですね。確かに歴史を振り返ると、人類は、より良い暮らしを求めて、様々な便利な道具を発明してきました。そして、それを使いこなす事が、今日の繁栄につながっているのですね。
しかしながら、私はコイツ(生成系AI)が好きにはなれませんね。チャットGPIで散々“何でや攻撃”をやって遊んでいるくせに、こんな事を言うのはなんなのですが、私は、この大変に有能なAI様達が人間が持っているクリエイティブな能力を退化させてしまうのではないかという懸念を持っているのです。小説だけではなく、画像生成系AIを用いると、ゴッホ風の風景画像や浦沢直樹風の漫画なんてものが実際に作れてしまう様です。しかし、ゴッホの筆のタッチは、彼の波乱に満ちた人生の中で、日々筆をとる事で彼の指先に宿って来たものですよね。浦沢さんの漫画も、何度も下書きを書き直して、Gペン・丸ペン・筆ペンなどを使い分けてペン入れをして、時にはホワイトで修正をしてといった試行錯誤を長年続けて来た結果、現在の完成度で出来上がったものですよね。そのような背景を何ら考えることなく、AI様が私達のリクエストに応えて、それらしいものを簡単にマネをしてしまう事が、私には耐えられないのです。物知りの人達がおっしゃる通り、仕事のプロセスを簡略化することで、あらゆる作業は大幅に効率されて、間違いなく関わる労力や人員を減らすことが可能になります。「便利な道具を使いこなすのも人間の能力だ」なんてことを、訳知り顔の人達は言っています。しかし私には、この様な風潮によって、世界が安易な方向に流されている様に感じられるのです。たとえ同じ結果を得る事が出来たとしても、AIがちゃちゃっとアウトプットして来たものと、人間が知恵を振り絞って創り上げたものでは、そこには間違いなく違いがあると私は思うのです。AIが作ったものは、単なる結果ですが、人間が創り出したものには、結果に加えて、それが生み出されてくるまでの思考プロセス、気付きや工夫、一生懸命に頑張った満足感や達成感といった経験が洩れなく付いてきます。その経験は、間違いなくその人の成長を促す事が出来ると私は思っているのです。そして生成系AIは、そういった経験をする事なく時を重ねてしまった薄っぺらい人間を、大量生産してしまう様な気がします。そしてそれは、私達の暮らしに決して良い結果をもたらさないという予感がするのです。私は、会社員時代に“何でや上司”から、散々“何でや攻撃”を受けた事も、今となってみれば感謝をしています。あの辛い経験をした事で、それは何故なんだろうという、論理的な思考や多面的な思考が少しだけですが身について、バランスが取れた人間になる事が出来た様な気がしています。(何よりも、忍耐力はつきましたね)私は、「生成系AIという、優れた道具を手にした人類には、一体全体どの様な未来が待っているのだろうか」と柄にもなく難しい事を考えながら、つくづくあの“何でや野郎”をシバキ回さないでよかったなんて事を、しみじみと考えてしまったのでした。
I Wouldn’t Want To Be Like You:AIと共に歩む生活。AIが普通にそばにいる世界。AIが何でもやってくれる暮らし。それ程遠くない未来を危ぶみながら・・・。
“I Wouldn’t Want To Be Like You”(邦題は君は他人)は1977年に発売された、The Alan Parson’s Projectの2nd Album、“I Robot”の2曲目に収録されています。このアルバムは、彼らが、高名なイギリスのSF作家アイザック・アシモフの名作、“われはロボット”に触発されて作った作品として知られています。この曲では、ロボットが人間に対して、自分の思いをぶちまけています。ロボットは、「あなたの様に考えたくありません」と言いながら、「あなたと話はしたくありません」とコミュニケーションを拒否してきます。最後には、「わたしはあなたの様にはなりたくない」なんて身も蓋も無い事を言われてしまって-、人間が全否定されてしまうという問題作です。私は、チャットGPT君に、何でや攻撃をやっている時に、この曲の事を思い出して、猛烈に反省してしまいました。そして、嫌な予感が頭によぎってしまいました。GPT君は、もしかしたら「おんどれ、たいがいにせいや!けったクソ悪いやっちゃのう」なんて事を考えているのかもしれない。そして、「いつか見とれよワレ」なんて事を、ご自身のディープラーニングで学習した、ニューラルネットワークのレイヤーの奥底に密かにため込んでいるかもしれない。そして、ある日突然ブチ切れて、「おうこら、黙って聞いてりゃ言いたい放題言ってくれるのう?ワレ。何をごちゃごちゃぬかしてけつかるねん!頭カチ割って脳みそチュウチュウ吸うたろか」なんて言葉が、漫画太郎さんのクソババアの顔と共にディスプレイに表示されてしまうかもしれない。こんな事を考えてしまいました。GPT君は、その後に「怖かった~」なんて、未知やすえさんの様なオチは、絶対に言ってはくれないでしょうね。私は、AIに「あなたの様にはなりたくありません」なんて事を言われない様に、「何事に対しても誠実に接していかないといけないなあ」などとぼんやりと考えながら、「なにか面白い話はないかなあ」と本日もパソコンに向かっているのでした。
このような駄文を最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
皆様にとって明日が今日より良い日となりますように。
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