移ろい変わりゆくもの -Dust In The Wind-

 

 今年は、桜の開花が例年よりも随分早く、春の訪れも随分早かったようですね。そして、あの鬱陶しい花粉も随分早くからお出ましになっていましたよね。スギ花粉は既に収まってきましたが、ヒノキ花粉がいよいよピークを迎えようとしています。今年の花粉飛散量は、例年にない程大量であると早い時期から予想されていて、テレビでは年明け早々から花粉症の薬の宣伝で、紫色の二人組や、巨大化したアイドルのCMが頻繁に流されていましたよね。皆さん、花粉は大丈夫でしょうか。折角コロナウイルスが下火になって、「マスクもいよいよいらないぞ!」という世の中になったのに、花粉症に苦しむ人達は、マスクを手放すことが出来ず、世の不条理を感じてしまいますよね。かく言う私もご多分に漏れず花粉症持ちで、毎日涙目になって、くしゃみ・鼻水・鼻づまり三役揃い踏みという辛い日々を送っています。

 思い起こせば、今から遡る事50年以上昔の事になりますが、私が子供の頃は、花粉症という言葉を聞いた記憶がなく、世間でもそれ程認知はされてはいなかった様です。しかしながら花粉症の歴史を遡ると、紀元前1800年代の古代バビロニアの書物に、涙目、鼻水など、花粉症と似た様な症状が既に記載されていて、かの医聖、ヒポクラテス様も花粉症と思われる症状を書物に書き残しています。季節性アレルギー鼻炎として花粉症を初めて紹介したのは、イギリスのジョン・ボストックという御仁です。彼は、農民が、牧草の刈り取り時期に喉の痛みやくしゃみ、鼻水に悩まされていた事に着目して、それを枯草病(Hey fever)と名付けて1819年に症例報告をしています。英語で花粉症をヘイ・フィーバーと呼ぶのはこれが語源だったのですね。日本では1961年にブタクサ花粉症が、そして1964年にスギ花粉症が初めて報告されました。ブタクサは敗戦後に進駐軍が日本に持ち込んだ外来種で、スギについても大戦後の木材不足の解消の為に大量に植林されたという背景があって、花粉症は、第二次世界大戦後の日本社会の変化とリンクして世の中に登場してきたのですね。

 不思議な事に、日本には古くから杉林はあって、そして他にも花粉を飛散させる植物は沢山あった筈ですが、戦前は花粉症について世の中で騒がれていた形跡はありません。貴族や武士が威張っていた江戸時代以前でも、花粉症らしい症状の病気が書かれた書物は見当たらない様です。その理由についてはいくつかの説明が為されています。曰く、「食生活が欧米化して高たんぱく食を摂取するようになった為に体質が変化した」、曰く「余りにも多くの杉や檜の植林を行った為、そして、道路や地面がアスファルトで覆われた為、大量の花粉が飛散して、それが地中に吸収されず浮遊し続けているから」など、尤もらしい事が言われていますが、科学的には証明されてはいない様です。最近では、汚れた花粉が原因であるという説が様々な媒体で紹介されています。汚れた花粉などと言われても、私は、沢山の「?」マークが頭の中に浮かんでしまって、「花粉が汚れる?あんた見たんか?それ」と思ってしまいました。ちなみにこのフレーズは、私が新入社員だった頃の上司のキタハラさん(仮名)が十八番にしていたフレーズで、私達が会議で尤もらしい言い訳をしていると、必ず、「あんた見たんか?それ」と突っ込まれていたものでした。そもそも、スギの花粉は30μmという比較的大きなサイズで、この大きさでは体内に侵入できない様です。そして硬い殻で覆われていて、そのままではアレルギーの原因物質にはならないと言われています。花粉症を惹起する原因物質(アレルゲンといいますね)は、cry j1とcry j2という2つのタンパク質が特定されていて、スギ花粉の殻の内部に内包されているそうです。そして、花粉の硬い殻が水分を含んで破裂した際に、殻の内部のアレルゲンが飛散して私達の体内に侵入する事が、花粉症発症の機序であると言われています。再びキタハラさん(仮名)が登場して、「あんた、本当に見たんか?」と言われそうですが、それは電子顕微鏡で確認されていて、「見たんです」という一言で、全否定されてしまいそうです。キタハラさん(仮名)の悲しそうな顔が目に浮かびます。汚れた花粉については、PM21や窒素化合物などの大気汚染物質が花粉とぶつかって花粉が破裂して中身が飛散するという意味の様ですね。またまたキタハラさん(仮名)が登場して来て、「あんた、本当に見たんか?」と言われそうですが、どうやら大気汚染物質と花粉が衝突して花粉が破裂するのは、誰もまだ肉眼では見ていないようですね。キタハラさん(仮名)が鼻を膨らませて勝ち誇った顔をしているのが目に浮かんできます。

 花粉症は、季節性アレルギー性鼻炎、又は季節性アレルギー性結膜炎という病名が示す通り、アレルギー反応のひとつの典型例です。アレルギーは意外に新しい概念で、初めてその名が医学会に登場したのは1906年の事の様です。皆さんご承知の通り、そもそもアレルギーという概念は免疫から来ています。大昔から、一度罹った伝染病には2度と罹らないという“2度なし現象”が経験的に知られていました。免疫について世に知らしめたのは、かの有名なジェンナーさんですよね。この人は天然痘に対する種痘を広めた偉人として知られていますが、その実、自信はあるけどけど根拠はないという恐ろしい人体実験(牛痘に感染した人の体液を接種)を近所の少年たちを集めて行ったというとんでもないマッド・サイエンティストです。その後、ジェンナーの種痘の原理を応用してパスツールがワクチンの原理を開発したのはご承知の通りです。免疫学進歩のエポックメーキングな出来事は、1889年北里柴三郎先生が破傷風菌を発見して、血清療法という画期的な方法を編み出して、抗原と抗体という概念を確立した事だと言われています。そして、ロベルト・コッホ研究所で北里先生と一緒に研究をしていたドイツのベーリングが、北里先生の研究を活用したジフテリアに対する血清療法の研究で、第一回のノーベル医学賞を受賞しました。余談になりますが、本来ノーベル医学賞第一号は、北里先生が受賞してもおかしくなかったと言われています。しかし北里先生に対して、日本の医学界は冷淡でした。一方でドイツの医学界は、ベーリングの研究を高く評価して、国家をあげて研究結果を喧伝していました。日本の医学会が北里先生に冷淡であったその理由は、つまらない上下関係のこじれといった事であった様です。北里先生が、東大の恩師である緒方教授が発表した、「脚気は細菌で発症する」という論文に対して異を唱えた事で、東大を中心とする日本の医学会からは裏切り者と見なされていた為だと言われています。今日では、脚気はビタミンB1不足が原因で、細菌は全く関係がない事は周知の事実ですが、当時の医学会は自説に固執して、その為に多くの人達が命を落としてしまいました。こんな小っちゃい奴らの集団が権力を握っていた事は、日本にとって本当に不幸でしたよね。北里先生の異論にきちんと耳を傾けていれば、大勢の人命の喪失は防げていた筈ですし、北里先生の研究をきちんと評価していたならば、栄えあるノーベル医学賞第一号は北里先生だったかもしれませんよね。

 免疫は、今では医学の最重要分野の一つですよね。コロナ渦で私達がお世話になったワクチンを中心とした感染制御の分野から、臓器移植にともなう拒絶反応のコントロールに至るまで、多く分野で免疫の理論が応用されています。直近5年間のノーベル医学・生理学賞の受賞研究も、2報が免疫に関する研究成果でした。(1報は本所佑先生の”PD-1"という免疫増強に関わるタンパク質の発見です)皆さんご承知の通り、私達の身を守ってくれている免疫の仕組みは、私達が生まれつき体に備えている自然免疫と、外界からの異物を認識して、それに対する抗体(異物を攻撃する物質)が異物を攻撃するという獲得免疫の二つに大別されます。この様な免疫の機能は、私達のご先祖様が、ホモ・サピエンスからヒトに進化していく過程で、様々な毒物や細菌・ウイルスから体を防衛する為に身に付けて来た機能であると言われています。6万年前アフリカ大陸で誕生した人類の祖先は、ユーラシア大陸、南アジアからヨーロッパへと長い旅をして来ました。彼らは、行く先々で新たな環境に適応しなければならず、様々な病原体にも抵抗力をつけていかなければなりませんでした。手っ取り早く現地の環境に適応する方法としては、既にその場で暮らしている同類と遺伝子の交換をする事でした。つまり私達のご先祖様は大変に助兵衛なヒト達で、行く先々で現地の旧人類達に手を出してしまっていたのですね。再びキタハラさん(仮名)が登場して、「あんた、本当にそれ見たんか?」と言われそうです。しかし、私達の遺伝子には旧人(ネアンデルタール人)の遺伝子が残されていることは、近年の研究で明らかになっていて、キタハラさんはまたまたがっかりという事になりそうです。

 近年、遺伝子工学が飛躍的に進化した事で、医学や生理学の分野において、今までわからなかった事や推測の域を出なかった様々な事が解明されてきました。昨年のノーベル医学・生理学賞は、ネアンデルタール人の骨から遺伝情報を解析する技術を確立した、スウェーデンのスワンテ・ペーボ博士が受賞しました。ベーポさん(沖縄科学技術大学でも教えているそうです)はネアンデルタール人だけでなくデニソワ人という旧人の遺伝子情報も解析しています。そして、彼の研究で、それら絶滅してしまった旧人類のDNAが私達の遺伝子に残されている事が確認されました。ネアンデルタール人のDNA塩基配列(パブロタイプと言うそうです)は、ヨーロッパやラテンアメリカ系の人達に受け継がれていて、私達東アジアの国々やアフリカの人達には受け継がれていないそうです。今のヨーロッパ人のゲノムの2~3%はネアンデルタール人由来のものと言われています。コロナウイルスが猖獗を極めていた時に、コロナ重症化とネアンデルタール人由来のDNAとの関連性が推測されていました。「日本人は、件のゲノムを有していないので重症化が少ないのではないか」という推論も語られていて、いわゆる“ファクターX”との関連も論じられていました。いくつかのスタディーも行われたようですが、はっきりした事は分かっていない様です。その他にも、「ネアンデルタール人をはじめとする旧人類から受け継いだゲノムが、アレルギーやアナフィラキシーなどの免疫の誤作動の原因になっているのではないか」という研究が、現在盛んに行われている様です。

 私は、近年明らかになって来た免疫や遺伝子の働きや進化の仕組みについて知るにつれて、大胆な推測をしてしまいました。アフリカで誕生した私達のご祖先様達は、強力なフィジカルと狡猾な頭脳を備えた、丈夫で好戦的で野蛮な種族であったのではないか。そして、そんな傍迷惑な集団が外の世界に飛び出して行った為に、行った先々で、厄災を振りまいてしまったのではないかと想像してしまったのです。ネアンデルタール人の骨が発見される地域は、人類の最古の文明が起こった地域と重なっているそうです。ネアンデルタール人達は、高度な文明を持って、幸せに暮らしていたという事が、発掘現場の状況から推測されています。発掘された彼らの骨からは、争い事をした形跡が残っていないのだそうです。このことからさらに私の想像はエスカレートしてしまいました。私達のご先祖様は、アフリカから地中海を超えてヨーロッパ、中東に向けて旅をしていくうちに、その地で幸せに暮らしていた旧人類達と交配する事で、自分自身の免疫はレベルアッップさせると共に、旧人たちの遺伝子には、取り返しのつかないエラーを及ぼしてしまったのではないか。その結果、旧人達は滅んで行って、タフでアグレッシブな、ご先祖様は更なる進化を遂げていって、人類の今日の繁栄を迎えることになったのではないかという推論です。こうした事を考えるにつれて、私達の文明が、悲惨でどうしょうもない戦争を繰り返しながら発展してきた事との奇妙な符合を考えてしまいます。

 アレルギーやアナフィラキシーなどの免疫の誤作動は、死を招くこともある恐ろしい生体反応です。近年のゲノムの進化は、遺伝子操作を行う事でその様な免疫反応についても制御するという領域にまで踏み込んで来ています。クリスパー・キャス9という新しい技術によって、遺伝子操作が簡便に、そして安価に行う事が可能になりました。このアイドルグループの様な名前の技術は、特殊な酵素のはさみによって、DNA二重構造の狙った部位の塩基配列を切断するという、いわゆる遺伝子を操作して、それを改変する技術なのです。この技術によって、切断した部位の遺伝子が担っている特定の機能を失わせたり、その部位から突然変異を起こす事を促すことが可能になってしまったのです。この先、クリスパー・キャス9を使う事で、あらゆる生物が、全く新しい機能を獲得することが出来て、人間の都合で作られた生物(人間も含めて)が世の中に登場してくることになりそうです。私には、それはまさに神の領域に手を付けてしまった様に感じられて、そこには禁忌に踏み込んでしまったという恐怖さえ抱いてしまいます。2020年には、厚労省が初のゲノム編集食品として、GABA増加トマトの販売を認めました。今後は、アレルギーリスクが少ないタマゴや小麦などが認可される予定である様です。花粉症についても、既にこの技術を用いて無花粉スギなんて代物がつくられていて、今後私達の前に登場してくる様です。食品アレルギーに苦しんでいる人達や花粉症に悩まされている多くの人々にとっては福音かもしれませんが、この様な、科学の力で無理やり免疫の仕組みを変えてしまうという振る舞いに対しては、違和感を持つ人も多いのではないでしょうか?

 アメリカには、アーミッシュと呼ばれる人達が暮らしている集落があります。アーミッシュとは、ドイツ系キリスト教の宗派のひとつで、新大陸に入植した時の暮らしをいまだに維持しながら暮らしている人々です。彼らは、驚くべき事に、いまだに電気のない生活をしていて、移動には徒歩と馬を使っています。主に農耕と牧畜で生活の糧を得ていて、土や埃と親しみながら、家畜と一緒に生活をしています。そんな古式ゆかしい暮らしを送っている人々が、何故かアレルギー疾患の罹患率が驚く程低い事が知られています。彼らは、都会に暮らす人達との比較において明らかに喘息罹患の割合が低く、花粉症の人もほとんどいない事が確認されています。彼らの血液を調べてみると、T reg(制御性T細胞)という免疫細胞が非常に多いという事が確認されています。Tレグとは、私達の免疫が過剰に働く事を抑制する免疫細胞として知られています。アーミッシュがTレグを多く持っている理由は、彼らの暮らしが家畜と非常に近い事が深く関連していると言われています。彼らは子供の頃から日常的に家畜と触れ合いながら生活しています。そして彼らは、乳児期に母乳のみで育てられて、幼児期は精製されていない生の牛乳を飲んでいます。生の牛乳には、恐らく雑多なバクテリアや細菌が混入している事でしょう。アーミッシュの人々は、胸腺が免疫細胞を作っている乳幼児期に家畜と毎日触れ合いながら、母乳や生乳で育って来て、その事が結果的に、この様な作用を及ぼしているのではないかと推測されています。

 私達は、コロナ蔓延の前から過剰なまでに清潔である事に拘った生活を送って来ました。コロナ後は尚更、手洗い・うがいの励行はもちろん、いちいち消毒液で手をぬぐいながら毎日を過ごしていますよね。私達はもしかしたら免疫を甘やかしすぎているのかもしれません。私が子供の時は、黄色い鼻水を垂らして泥だらけになって遊んでいたクソガキ達が沢山いました。今や周りを見渡すと、小綺麗なお坊ちゃんお嬢ちゃんばかりで、小汚い鼻たれボウズなどは絶滅してしまった様な気がします。私達の過剰なまでの清潔さが、結果的に私達の抵抗力を弱める事に繋がって、それを補う為に遺伝子を操作した食物が必要になるのであればそれこそ本末転倒で、「一体何をやっているんだか」という事になりそうです。しかし私達は、この綺麗で清潔な暮らしを手放す事は出来ないでしょうね。ヒノキの花粉のせいで涙目になりながら、私は、免疫という絶対に必要な、しかし面倒くさい体の働きについて思いを凝らしながら、人間は、もしかしたら取り返しのつかない事をしているのではないか、そんな危惧が頭の隅にこびりついてしまったのでした。

Dust In The Wind : 風に舞う花粉は、神からの警告。人間が手に入れた禁断の力によって、私達はどこに向かおうとしているのだろうか・・・。

Dust In The Windは、kansasの曲で、邦題は、”すべては風のなかに”、1977年に彼らが発表したアルバム、”Point Of Know Return”に収録された曲です。Kansasはアメリカン・プログレッシブ・ロックの草分け的存在で、レギュラー・メンバーにバイオリンが加わっている珍しい編成のバンドでした。私は、高校生の時に、プログレッシブ・ロックが大好きな友人からこのバンドを教えてもらって、この曲を知りました。とても綺麗なメロディーラインを持つこの曲は、当時の私達の心をがっちり摑まえて、放送部の友人が、お昼休みに連日この曲を流していた事が思い出されます。この曲は、今でも様々な媒体で使われる事があるので、皆さん一度は聞いた事があると思います。30年以上前の曲とは思えない、今なお色褪せる事のない名曲だと思います。そして、抽象的な表現で紡ぎ出されたLyricも、この曲の魅力に彩を加えています。この曲の歌詞からは、方丈記の冒頭の様な、世の中を達観した想いや諸行無常の響きが感じられます。風に舞う埃の様に流されながら現在に至っている私達人間は、科学の力で手に入れた魔法の力を用いて、この先何処に向かって行くのだろうか?そんな事を考えながら、私は、盛大にくしゃみをぶっ放してしまったのでした。

このような駄文を最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

皆様にとって明日が今日より良い日となりますように。

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