電脳社会の行方 -Start Me Up-

 

 日の丸半導体企業連合のニュースが飛び込んできたのは、11月11日、惑星直列の様に並びがいい、いかにも縁起が良さそうな日でした。西村経産大臣が、閣議後の会見で、誇らしげに鼻をぴくぴくさせながら発表をしていましたよね。私もこのニュースをTVで見ながら、ようやく我が日本もやる気になってくれたのかと嬉しくなって、鼻がぴくぴくしてしまいました。思い返せば我が国が栄光の日の丸半導体などと偉そうにしていたのは、1980年代の事でした。当時は、出荷シェアのベスト10に6社まで日本企業がランクインして、1位から3位までを日本企業(NEC、東芝、日立)が独占していたのです。1988年には出荷シェア50%を超えて、まさにこの世の春を謳歌していた日の丸半導体産業でした。しかしながら当時アメリカからは、日本の半導体市場開放と第三国でのダンピング販売が問題視されて、日本にとって厳しい条件の日米半導体協定の締結、履行を求められていました。加えて韓国や台湾のメーカー(あのTSMCとSamsungです)の参入による価格競争に敗北してしまって、1990年代には日の丸半導体は凋落の一途を辿る事となってしまいました。驕れる平家は久しからずといったところですよね。そして東芝、日立といった大手メーカーは半導体製造から手を引いてしまって、多くの製品は、外注(ファンドリーと言う様です)に依存する事になりました。優秀な技術者や研究者も整理してしまった為に、優れた人材が海外のメーカーに引き抜かれるという、まさに泣きっ面に蜂といった有様になってしまったのでした。現在日本では、キオクシア(元東芝)やルネサス(日立と三菱電機の合併)などのメーカーが半導体の製造をしていますが、技術レベルではアメリカ、韓国、台湾の足元にも及ばない状態である様です。

 今回、西村大臣が鼻息荒く息巻いていた日の丸半導体とは、「超TATかつ2nmノード以細の半導体技術開発プロジェクト」という代物で、それは、研究開発プロジェクトと製造基盤の確立の2本立ての様です。研究開発プロジェクトとしては、LSTC(技術研究組合最先端半導体技術センター)という研究拠点を設立をするのだそうです。量産製造拠点としては、「Rapidus」という新会社を、政府が700億円の予算措置を講じて、そして民間企業からはNTTやキオクシア、ソニー、トヨタなど8社が出資をして、設立をする様です。現在、世界最先端の半導体の規格は、今回目標としている2nmから5nmという超極薄なのだそうです。半導体でのnmの意味はなんぞやと申しますと、半導体のチップの線幅の事で、半導体の各世代間の相対能力を大まかに表す指標なのだそうです。そして線幅が小さければ小さいほどチップを小さくする事ができて、消費電力が少なくて済み、処理スピードは速くなるのだそうです。ちなみに2nmというサイズ感は、花粉のサイズ40μmの2万分の1のサイズであり、物質の原子の直径が0.1nm程度なので、原子の大きさ20個分という途方もない小ささになります。何だか頭がクラクラしてきました。そして現在のiPhone12などに搭載されている高性能CPUは5nmで、日本では全く製造できないのだそうです。

 ここまで身の程知らずにも半導体について語ってきましたが、私は喜びながらハタと気が付きました。「ところで半導体とは一体なんぞや?」そうなのです。私はいわゆるアホな人である上に、典型的な“文系脳”のヒトなのでした。6+4を計算するのにも電卓を使う様な人間なのです。そこで私は、理科という冠がついている某大学(特に名は秘す)を卒業した友人に聞いてみる事にしました。TK理大卒(2年留年)の彼が答えたのは、この様な内容でした。江崎玲於奈君(仮名):「アホやなあ。お前、そんなことも知らんのか?半導体ちゅうのはやな、温度やらなんやらの条件で電気を通したり通さなかったりするものなんや。シリコンやゲルマニウムが有名やな」私:「よう分からへんわ。今話題になっている家電やら車に入っていて不足して困っている半導体は、具体的にはどんなモンなんや?」江崎君:「それはな、お前、ICやチップって聞いたことがあるやろう。トランジスタやら何やらをものごっつく(物凄く)小さくして基盤に張り付けたモンで、電気製品で一番大切な働きをしている部品の事や」私:「大切な働きって言われても分からん。どう大切なんや?」江崎君:「電気の流れを色々と“いらって”(いじくって)いろんな計算をして、その製品の動きをコントロールしてるんや」私:「色々と“いらって”と言うけど、どう“いらう”んや(いじくるのか)?どうやっていろんな計算をするんや?いろんな計算をしたらどうして製品の動きをコントロールできるんや?」江崎君:「そんなん知るか!お前、暇すぎて頭にウジが湧いとるんちゃうか?たまには飲みに行くか?」・・・。天国の江崎玲於奈博士、勝手に名前を使ってしまい、大変申し訳ございませんでした。謹んでお詫び申し上げます。

 恐らく皆様の半導体のイメージは、パソコンやスマホに入っているCPU(中央演算処理装置)やメモリなどの事が思い浮かぶのではないでしょうか?中・高年齢層の人達でしたら、江崎玲於奈君(仮名)と同様に、ゲルマニウムやシリコンを原材料とするトランジスタと、トランジスタ回路を集積させたIC(集積回路)が頭によぎるかもしれませんね。私が子供の時、学習雑誌(科学と学習だったと思います)に付録でゲルマニウムラジオ工作キットなるものが付いていた事がありました。それは鉱石ラジオと呼ばれていて、不思議な事に電池が不要で、割と簡単な作業でラジオが作れてしまったのです。残念ながら、当時我が家はド田舎に住んでいたので、せっかく作ったラジオは、ザーという雑音しかイヤホンから流れて来なくて、いつまでたっても波の音しか聞こえなかったという残念な思い出があります。こんな物が後々半導体などと呼ばれる大それた代物だとは、当時から算数、理科が壊滅的に苦手だった私には思いもよらない事でした。昔の電化製品には、まだ真空管が使われていたのです。私が子供の時、我が家のステレオも真空管が使われていて、ラジカセを大きくしたようなセパレートタイプで、応接間に犬の置物と一緒に鎮座していました。ラジオにも真空管が使われていて、今では考えられない位馬鹿デカい代物でした。当時、ゴミ捨て場に捨てられていた真空管ラジオを、私たち悪ガキは拾ってきて分解して、真空管を壁にぶつけて「ボン!」という破裂音を楽しんでいたものでした。今なら決して許される事ではなく、社会問題になってしまう様な行為ですが、当時はおおらかな世の中だったのです。トランジスタの発明とその普及は、それはもう画期的な事だったのでしょうね。世の中には電子卓上計算機なる、私の様な数字に弱い人にとっては本当に有難い代物まで登場してきました。そして電卓が身近なものになるにつれてICや集積回路といった言葉が普通に使われる様になってきたのでした。

 コンピューターという言葉は、私が子供の頃から使われていて、電子頭脳などと呼ぶ人もいましたね。私達にとってはコンピューターは漫画や小説の世界のものでしたが、それが身近なものになってきたのは、PC9801とApple・Macintoshの登場からですよね。それは丁度私が会社員になった頃の事で、文字通りコンピューターがパーソナルなものになって、PCあるいはパソコンなんて呼ばれる様になりました。当時得意先の方が、Macintoshの可愛らしい箱型のパソコンを購入して、散々私達取引業者に自慢していた事を私は懐かしく思い出しました。起動した時の「ジャーン」という音と、今では当たり前になっているマウスによる操作が衝撃的でしたね。PC98シリーズのパソコンはMS-DOSというOSが使われていて、操作するのにいちいち呪文のような単語を入力しなければならず、Macに比べるとなんだか野暮ったく感じたものでした。1991年のWindows95の発売はセンセーショナルでした。それ以降、パソコンが庶民のものになって、世間の多くの人達は、パソコンを買ってせっせと年賀状作成に精を出していましたね。今では子供から老人までパソコンやタブレット、スマホを持っていて、当時の事を考えると今昔の感がありますよね。この様なコンピューターの進歩には半導体の進化がなければ果たすごとはできなかったと思いますし、今では家電や車もパソコン・スマホも性能が格段に進化して、あらゆる電化製品は半導体がなければ作ることが出来ないという事になっています。まさに半導体は、「産業のコメ」なのですね。

 今や落ち目の三度笠の日の丸半導体ですが、実は日本の技術は大きな可能性がある様です。半導体そのものの製造は、確かにインケツでクスブリ大五郎なのですが、半導体を製造するには、高度に洗練された技術に裏付けされた製造装置が不可欠です。その製造装置について世界の上位15社の中で日本のメーカーが8社も入っていて、3位の東京エレクトロンや6位の日本アドバンテストが有名です。必須の素材であるシリコンウエーハは信越化学工業とSUMCOという日本の会社が55%前後のシェアを占めていて、存在感を示しています。チップのエッチング(回路を焼き付ける作業の様です)や洗浄には、高純度のフッ化水素が必要不可欠で、その技術に関しては、他国はまだ日本には全く追いつけていないと言われています。この様な基盤に加えて最先端の技術の研究開発を行い、量産拠点メーカーが誕生すれば、日本の半導体は心強い限りですよね。80年代に日本にいらないちょっかいを出してきたアメリカも、安全保障の事を考慮に入れたのだと思いますが、今回は、「日米半導体基本原則」なるものを合意していて、加えて両国での半導体重要技術の共同研究開発についても合意に至っています。日米両国が手を結べば、義経に弁慶、江夏に田淵、ラーメンにチャーハン、カレーにらっきょう、まさに鬼に金棒ですよね。今回の円安を受けて、「日本はオワコンだ」とか「日本は3流国家だ」なんて散々ディスっていた人達がいましたが、今回の日の丸半導体設立構想で、是非ともそんな品性下劣なヤツラの鼻を明かして欲しいものですよね。最近政府が関与して作った会社は、「ジャパン・ディスプレイ」や「エピルーダ・メモリ」などなど、全くうまくいっていない印象なのですが、私は、今回ばかりは心の底から成功してほしいと、神様にお願いしてしまったのでした。

Start Me Up :このnumberとともに華々しく始まった電脳社会に新たな旋風を吹き込む事を願って・・・。

Start Me UpはRolling Stonesの曲で1981年に発売されたアルバム“Tattoo You”(邦題は刺青の男)の1曲目に収録されています。この曲は何といっても、あのWindows95が世の中に登場した際のTVコマーシャルに使われていて、1991年の秋から冬にかけて散々この曲がTVから流れていたという記憶がある方も多い事と思います。私は、日本の電脳社会は、Keith Richardsのギターが奏でる印象的なこの曲のリフからスタートした様に感じていました。そしてMick Jaggerが「ぶっぱなすぜ!そしたら誰も止められないぜ!」と高らかに歌うこの曲のAメロは、これから始まる華々しい世界の幕開けを暗示している様で、Windows95という画期的なOSの発売にぴったりの様に思ったものでした。1991年の暮れは、日本中がウインドウズ旋風に巻き込まれていましたね。アップル教の信者の皆様が、「チェッ。全部Macのマネの癖に、何を騒いでやがるんだ!中身も全然なっちゃいないよ」なんて悔しそうに言っていましたよね。当時は私も、「たかがOSごときで何を騒いでやがるんだ」と思っていたのですが、それからのパソコンやソフトウエアの進化は速かったですね。いつの間にか私達営業マンは、会社貸与のPCを持たされて、内勤業務は殆どPCで行う事になってしまいました。当初は、データの更新の為に電話回線で通信を行わなければならず、LAN回線がつながる、緑か灰色の公衆電話で送受信を行っていたものでした。順番待ちで待っていると、おばさんが長電話をしていて、苛立ってしまって胃が痛くなった事が懐かしく思い出されます。今では通信網が充実してフリーWi-Fiスポットも多数出来ています。スマホでデザリングなんて事も出来る様になって、本当に便利になったものです。ダウンロードのスピードも、以前と比べれば桁違いです。私は、アーウィン・ウィンクラー監督の「ザ・インターネット」という映画を思い出してしまいました。主演のサンドラ・ブロックさんが、ファイルの送信でイライラしている所が、当時電話ボックスでちょっと重いファイルを送受信していた時の自分と重なってしまいました。以前と比べると、現在のPCやスマートフォン、iPadの通信スピードや機能は隔世の感があります。しかし世界は、常に今以上のものを求めて進化を続けています。一体私達はどこに向かっているのだろうか?そんな事をWindowsのテーマとでも言うべきこの曲を聞きながら、考え込んでしまったのでした。

この様な駄文を最後まで読んでくださってありがとうございます。

皆様にとって明日が今日より良い日となりますように。

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