ホームにて -Train Kept A-Rollin'-
10月14日は、鉄道開設150周年記念日でした。様々な記念行事が行われていて、TVや新聞でも様々な報道が報じられていましたね。私は当日、NHKの再放送で、「ドキュメント72時間 選 さよなら渋谷 カマボコ駅舎」という番組を視聴しました。番組は、東急渋谷駅の地上駅が渋谷駅再開発の為地下駅に移動となる当日までの駅の様子、特に駅に集まる人々について伝えていて、大変面白い番組でした。東急渋谷駅は、1日300万人以上の人が利用する巨大ターミナルで、カマボコ形の特徴ある屋根で知られている、鉄道ファンには大変人気があった駅舎でした。番組では、移転までに驚くほど沢山の人が渋谷駅に集まって来て、地上駅とカマボコ駅舎との別れを惜しむ様子を放映していました。私はこの番組を見て、かつて大阪でひっそりと廃駅になった、JR片町駅の事を思い出してしまいました。大阪環状線の京橋駅は大阪の交通の要衝ですが、かつてその1駅西隣に片町駅という駅がありました。片町駅は、いつの間にか学研都市線という名前に変わってしまった大阪市内から四條畷、京都田辺・木津を結んでいる、かつての片町線の始発駅でした。古くて趣がある駅舎で、改札を通るとすぐに直角の櫛形ホームが出迎えてくれる、独特な、これぞ昭和といった造りの駅でした。片町駅は残念ながら尼崎と京橋を結ぶJR東西線が開業して学研都市線と連結された事で廃駅となりました。しかしこの路線開業で、京都府南部・奈良方面から大阪・神戸に向かう人達の利便性は驚く程向上しました。東急渋谷地上駅も同様で、利用客の利便性にとっては大きな福音であった事と思います。しかし、あの愛嬌のある形状の片町駅や東急渋谷駅が失われてしまったのは、なんだかとても残念な気持ちがします。私は利便性と引き換えに、とても大切なものを失ってしまった様な気がしてしまいました。
社会にとって重要なインフラである鉄道ですが、鉄道を取り巻く環境は厳しいものがあります。モータリゼーションの進展及び、人口減と都市への人口流入を主な原因とした利用客の減少は年々増大していて、ローカル線の多くの路線は存続が危うい状況です。地方では、自動車は一家に1台どころか一人に1台の所有で、鉄道の利用価値は以前ほど重くはないと言われています。本年7月には国交省の有識者会議から指針が発表されました。輸送密度1Km当り1日平均利用者数1000人未満の路線については、国と地元自治体、事業者との協議会を設置して、存続やバス路線への転換について話し合えと彼らは言っています。対象自治体の住民にとっては、鉄道の有無はその地域のアイデンティティにつながるので、その存続は大問題ですよね。
私が物心がついた頃は、まだギリギリで蒸気機関車が走っていました。私は父親が鉱山会社に勤めていて転勤が多かった為、小さな頃から日本全国を転々としていました。そして父親が転勤になる度に鉄道を使っての長旅を経験して来ました。その昔は新幹線は東京ー新大阪間しか開通しておらず、そこから先の路線は特急列車と在来線の乗り換えでした。そして転勤先への移動には、気の遠くなる程時間がかかったという記憶があります。それが今では日本全国津々浦々に新幹線が整備されていて、まもなくリニアモーターカーまで登場することになっています。。飛行機は北は稚内から南は波照間島まで、どの地域にも運行していますし、道路網は、日本中隅から隅まで網の目のように張り巡らされています。私達の生活はどんどん便利になりました。今では、東京や大阪での仕事や会議であれば、主要な都市からは日帰りで仕事を済ますことが可能です。出張帰りに一杯飲んで帰る事も出来そうです。日本は随分狭くなったなあという感慨はありますが、常に何かに急かされて生きている様にも感じてしまいます。
世間では、鉄道ファンの事を、鉄ちゃんとか鉄道オタク、略して鉄オタなどと呼んでいますよね。鉄オタは、列車に乗る事をこよなく愛する「乗り鉄」や、列車の写真を撮る事に執念を燃やす「撮り鉄」と呼ばれる人達が有名ですよね。俳優の六角精児さんは、鉄道に乗りながらお酒を飲む事にこのうえない喜びを感じる、呑み鉄として知られていますね。NHKで不定期に放映されている「呑み鉄本線・日本旅」は私のお気に入りの番組で、毎回楽しく視聴させてもらっています。鉄オタの中には時刻表をこよなく愛していて、列車の運行ダイヤを頭に入れて、様々なシュミレーションや想像を膨らませる事を楽しんでいる「スジ鉄」なんて人達もいます。文豪阿川弘之さんは筋金入りのスジ鉄で、家族で旅行している時に、列車が駅ですれ違う時におもむろに時計を見て、「何時何分、時間通りだ。よし!」とか、「何分遅れている。けしからん!」などとおっしゃっていたと、お嬢様の阿川佐和子さんが語っていました。鉄オタ達は、周囲から見ると単なる変人としか見えないのかもしれません。そして最近では、一部のマナーが悪いヤカラ達が問題になっています。そういった素行の悪い人達は論外ですが、私は鉄オタ達には親近感を持っていて、愛すべき人達と思っているのです。
私は鉄オタではありませんが、鉄道の駅に対しては特別な感情を持っています。鉄道の駅が持っている独特の雰囲気、行き来する旅人や忙しそうにしているビジネスパーソン、楽しそうな高校生達や改札で待ち人を迎える人達、そういった駅が持つ空気感がとても好ましく思われるのです。駅には色々な思いを持った人達が集まって来て、そういった人々の様々な想念が集まっている場所の様に感じるのです。駅には様々なドラマがあります。以前放映されていたJR東海のクリスマスエクスプレスのCMを憶えていますでしょうか?改札から出て来た恋人を見つけて柱の陰に隠れる牧瀬里穂さんが可愛らしくて、心の琴線に触れる様なCMでしたね。私は、数ある駅の中でも櫛形ホームを持つターミナル駅・終着駅が特にお気に入りです。櫛形ホームとは、線路の片側が行き止まりになっていて、ホームの片側が繋がっていて櫛の葉の様にホームが伸びているタイプの駅の事で、頭端式ホームと呼ばれています。代表的な頭端式として知られているのは、大阪の阪急梅田駅やJR高松駅です。国際的にはローマのテルミニ駅やハリーポッターシリーズに登場するロンドンのキングスクロス駅が有名ですね。(前述の片町駅も頭端式でした)改札を出るとすぐに広がる広大な空間、そこで発車を待つ列車、慌ただしく行き交う人々、そんな光景が私は大好きなのです。何故私が鉄道の駅、特に頭端式ホームを持つ駅に惹かれるのか、それは私の生い立ちによる所が大きいのかもしれません。私は前述した通り転居が多い幼少期を送っていました。高校生の頃から東北地方の小さな町で下宿生活をしていて、盆暮にはその小さな町から福岡の実家まで、鉄道を使って長距離の帰省をしていました。下宿の町から上野駅までは夜行急行八甲田、そして東京駅から博多駅まではブルートレインのさくらを愛用していましたね。当時の上野駅は、文字通り東北・北信越地方への玄関口で、巨大なターミナル駅でした。広小路口の高い天井の駅ロビーから改札を通ると、広大な頭端式ホームが広がっていました。夜の上野駅地上ホームは、高度成長期に出稼ぎで東京に出て来た人達の息遣いの残滓が漂っているような独特な雰囲気があって、高校生の私には異なる世界、異空間に迷い込んだ様な不思議な感覚があったのです。残念ながら上野ー東京間の連絡路線が開通して、上野駅は北の玄関口としての役割は終わってしまいました。上野発の夜行列車はもう走っていないのです。連絡船も無くなりました。今では津軽海峡の海底を新幹線はやぶさが走っています。石川さゆりさんもさぞかし残念に思っている事でしょう。函館ははるばる来る所では無くなりました。サブちゃんの歯ぎしりが聞こえてきそうです。
鉄道はどんどん進化しています。世の中は本当に便利になりました。都市部では電車の乗り換えも簡便化して、移動の所要時間も昔と比べたら大幅に短縮しています。一方で地方のローカル線は合理化の波に晒されていて、次々に廃線になっています。鉄道が廃線になってしまった沿線の街は、どうしても”すたれ場感”が浸み出てしまい、街の退化が加速して行ってしまう様で、涙が滲んで来ます。夜行急行やブルートレインも姿を消しました。今では、ゴージャスなホテルの様な豪華寝台周遊列車(瑞風やななつぼしが有名ですね)が富裕層の人気を集めていますが、金持ち御用達列車では、夜汽車が持っていた独特の風情は失われてしまった様に思います。時刻表冊子も今ではネット検索が主流になった為、鉄オタ専用愛読書となってしまいました。大幅な部数減にもかかわらず、発刊を継続してくださっているJTBパブリシティと交通新聞社には、謹んで感謝の意を申し上げます。今後も時刻表冊子の事を見捨てないでくださいね。携帯電話の普及で、駅での待ち合わせにもドラマは無くなりました。駅の伝言板も姿を消しました。若い世代の人達は、現在のこの便利な世界が至って普通なのでしょうね。中・高年の人達も、かつて見てきた、そして過ごして来た日々の事を忘れてしまっているかもしれません。彼らの見ている光景は、私が見て来た光景とは異なっているのでしょうね。何でも簡単に出来てしまう今この時を、本来私は喜ぶべきなのかもしれません。しかしそれは、人々の思考を安易な方に流してしまうのではないかという危惧を私は持っています。そして便利な今この時を当然の様に享受していて、その事に対する感謝が感じられない世の中が、とても不自然で危うい場所の様な感じがしているのです。便利な世の中を当たり前に過ごしている皆様から言わせると、「大きなお世話だよ」という事だろうと思います。自分でも「面倒くさい野郎だよ」と自分の事を思っているのです。そして、鉄道開業150年を祝して寿ぎながら、私は、「鉄道の発展を肌で感じる事が出来て、つくづく自分はいい時代を生きて来たのだなあ」という感慨を持ってしまったのでした。
Train Kept A-Rollin':過ぎて行ってしまった日々の思い出を背負いながら、今日も列車は走っている。私達の人生も又・・・。
Train Kept A-Rollin'はリズム&ブルースの名曲で、元々はアメリカのタイニー・ブラッドショウというミュージシャンが1951年に発表した曲です。様々なアーティストにカバーされていて、最も有名なのは、Yardbirdsによるカバーです。ヤードバーズはギターの神様ジェフ・ベックやジミー・ペイジが在籍していた事で有名な、1960年代イギリスの伝説のグループです。私は、Aerosmithのカバーバージョンでこの曲を知りました。この曲は、1973年に発売された彼らの2nd アルバム、"Get Your Wings"の6曲目に収録されています。邦題名は「ブギウギ列車夜行便」。何ともはや・・、センスのかけらもないネーミングですよね。元々のこの曲の詩は、「夜汽車で乗り合わせたマブイお姉ちゃんとねんごろになって、夜通し"とれいん けぷと あ ろうりん"するゼ」なんていう他愛のない、そして身も蓋もない単細胞な内容なのですが、エアロスミスのバージョンでは、夜汽車で出逢った女の子と仲良くなりたいのだけれど、妄想ばかりで何も言えず、ただひたすら夜通しで列車はTrain Kept a Rollin'するだけだったというありがちな、だけどちょっと間抜けな歌で、まるでシャイな鉄オタの為に歌っている様に感じてしまいました。夜汽車の旅はいいものですね。私は、さくらに乗車した時はB寝台の上段が定席で、目の前に天井があるのでなかなか寝付く事ができず、いつも通路側の折り畳みシートに座って外を眺めていました。窓辺に肘をついて、闇の中に時折現れる家の灯や微かに聞こえる通り過ぎていく遮断機の音、人の気配がない停車駅などを眺めながら、漠然と自分はこのままいい加減な事ばかりをしていていいのだろうか?将来はどうなるんだろうか?といった事をぼんやりと考えていた事を思い出してしまいました。
タイトルで使わせていただいた「ホームにて」は中島みゆきさんの曲で、1977年に発売された彼女の3dアルバム「ありがとう」に収録されています。鉄道に関連して思い浮かぶ楽曲は、沢山あり過ぎて悩んでしまいました。「アリスの”遠くで汽笛を聴きながら”もいいなあ。でも東北本線なら、BUZZの”はつかり5号”も捨てがたいなあ。猫の”各駅停車”はどうだろう」、そんなことを考えながら、強いスピリッツのお酒をチビリチビリ喉に流しこんでいる時は、私にとって至福の時間でした。この曲を聴きながら、ふるさとへ向かう最終で笑っている帰り人は、その人達は、自分がやさぐれていた高校生の頃に、上野発の夜行急行で出会った様々な人達の様に感じて、懐かしい穏やかな気持ちになってしまったのです。タバコをせびってばかりいた隣に座ったおっさんの事や、飲んでいた酒のつまみのチーズ燻製をくれたサラリーマンの事、冷凍みかんをくれたおばあさんの事を思い出しながら、タバコの臭いと酒の匂い、イカの燻製や雑多な食べ物の匂い、列車の独特な消毒薬の匂いに包まれた車両の中で、それぞれの人生を背負いながら走り続ける列車の中で旅をしていた、そんな人達の事を思い出してしまいました。
このような駄文を最後まで読んでくださってありがとうございます。
皆様にとって明日が今日より良い日になりますように。