いちご白書をもう一度 -Ohio-

 私は、自分が見通しが甘い男であることを自覚していて、その点についてはかつて一緒に働いた同僚や上司からは全く異論は出ないという妙な自信があります。私がかつて働いていた職場では、数字に対して非常に厳格で、結果は見通しに対して±5%以内というとんでもない事が求められていました。私は大変よろしくない癖を持っていて、物事が良い方向に向かっているときには悲観的に考えてしまい、その反面物事が悪い方向に向かっている時には楽観的に考えてしまうという、典型的などんぶり勘定社員でした。なので、毎度の様に見通しを上下に大幅に狂わせて、皆様に迷惑をかけていたものでした。かの偉大なベースボールプレイヤーであるイチロー氏は、「結果で人を黙らせる快感を僕は知っている」と爽やかに語っていましたが、何を隠そうこの私は、「結果で人をがっかりさせる失望を僕は知っている」とぼそぼそと呟いている、そういう恥ずかしい男なのです。

 私と同じ悪癖を持っている人物がいます。その人の名は、キシダフミオくん、紛れもない日本の総理大臣です。キシダくんは、安倍前総理の国葬について、その悪い癖を遺憾無く発揮して、批判を一手に引き受けてしまっています。キシダくんは国葬費用について、最初は最低最小限の費用である、2億5千万円という金額を発表しました。そして「そんなはずないやろう!」という批判を受けた途端に、警備費用と接遇費用を足した、16億6千万という数字に訂正してしまいました。この見積りもちょっと怪しい金額で、最終的にはもっと多額の費用を要することが予想されます。宮仕えの身であれば常識だと思うのですが、こういった時には様々な要素を考慮に入れて、最低いくら位、最高でいくら位と見積るのが一般的ですよね。そして最も拙いパターンとしては、最初に最小の金額を見積もって、「本当に大丈夫か?」と言われて、追求される度に、「実は・・」と金額が上がっていく事です。最終的にその見積りさえも狂わせたならば、修羅場が待っていること間違いなしです。キシダ君は、政治家になる前は、某大手名門金融機関に勤務していたそうです。そして、そうしたご自身の経験をもとにInvest in Kishida.なんて事をロンドンのシティーでブッこいていました。しかし、誰がこんなに見通しが甘い人物に投資をするのでしょうか?こんな先の見えない宰相が船頭で、この国は本当に大丈夫なのでしょうか?見込みが大甘で、いつも上司から小言を言われていた私ごときからこんな事を言われたくないとは思いますが、キシダくんとキシダくんの周りにいる参謀の皆さん、頼みますよ。もっとしっかりして下さいよ。あと3年はこの国の舵取りは、あなた達が担っていかなければならないのですよ。

 私は、ご覧の通りアンチ岸田です。岸田総理のやること為すこと気に入らなくて、文句ばかり言っています。しかしながら、内閣総理大臣という重い職責については、リスペクトを持っているのです。総理大臣として岸田総理が決めたことであれば、世間でどれ程反対であっても、自信を持ってやり遂げてほしいという思いを持っています。今回の国葬については、私は反対だと以前このブログで書きました。(天に昇った想い)しかしながら、岸田さんが内閣総理大臣として決定をして、閣議での承認を経て内閣法制局が法的根拠を与えたのであれば、胸を張って国葬を行えばいいと思っています。ましてや国外の賓客に案内状を出してしまったのであるならば、国葬中止の選択肢はあり得ませんよね。そんなことをすれば、日本のガバナンスは一体どうなっているんだと思われて、海外からの日本の評価はガタ落ちで、重大な国益の毀損となってしまいます。折角国葬という大きなイベントを行うのであれば、お金をケチって爺いの小便の様に小出しにちまちま予算を出すのではなく、最高の警備、最高の接遇を堂々と行えば良いと思うのです。やると決めたなら、きちんと統制された厳かな儀式を行えば良いのです。そして海外からの賓客に対しても、満足いただける最高の接遇を行って、有益な弔問外交を行って欲しいものです。私はあまり期待していないのですが、岸田総理には日本にメリットをもたらす実りあるディールを行ってくれて、私の大甘な見通しがまたしても外れて欲しいものですね。

 それにしても、国葬に反対する人達が日本中で行っている反対活動は、何だかうんざりしてしまいますね。反対している人達の理由は様々だと思いますが、その人達は、岸田さんが日和って、今更国葬をやめるなんて言い出したらどうなるかという事が思い浮かばないのでしょうか?恐らくそこを狙って騒いでいる人達も沢山いるとは思いますが、多くの人達は私と同じで、感情的な理由で反対しているだけで、何がなんでも中止にするんだと考えている人はごく少数だと思います。何がなんでも国葬を中止にするぞと息巻いている人達は、その結果日本という国が、ガバナンスが全くなく、確たる意思を持っていない三流国家であると世界中から馬鹿にされて赤っ恥をかく事を狙っているのだと思います。そして、主にそういった人達が、国会議事堂の前や日本中の繁華街で、せっせとデモ活動を行っているのだと思いますね。

 デモは当局に届出をして許可を取得すれば、ちゃんと認められた行動なので、日本中で自由にデモは行えます。日本は思想信条については自由で開かれた国であるので、国の名誉が棄損されるような要求でも、法の範囲内であるのであれば自由に訴える事ができます。しかしながら、それが腹の底に悪意を持った活動であるならば、私も含めて多くの人が眉を顰めているのではないでしょうか?私はいつも、一体どういう種類の人達がデモで騒いでいるのだろうと不思議に思っていました。皆さん色々な差物やプラカードを持ち込んでいて、そこには「なんやら労働組合」や「〇〇党なんやら支部」などと書いています。中には「なんやらを考える会」だの「かんやら評議会」だの怪しげな団体名を名乗っている人達も見受けられてお里は知れているのですが、一体全体この人達は、本当は何を望んでいるのだろう?と思ってしまいます。大体皆さん押し並べて、帽子(チューリップ帽が多いですね)にマスク、サングラスというお馴染みのスタイルで、太鼓に合わせて「国葬反対!」「国葬やめろ!」などと音頭をとってシュプレヒコールを叫んでいます。私はこういった光景をテレビで見る度に、「なんだかステレオタイプでダサいなあ」などと失礼な事を考えています。そして、大きなお世話なのですが、「こんな風に行進をしたらもっとインパクトがあるのになあ」などと要らない事を想像してしまいます。私の妄想は、あまりにも破廉恥で、流石にこの誰も読んでいないブログでも書く事は出来ないのですが、様々な妄想の内で差し支え無さそうなものだけご紹介させていただきます。例えば、百鬼夜行はどうでしょう?デモ参加者の皆さんも、仮装をすれば帽子やマスクで顔を隠す必要もないと思います。どうせ皆様内面は、魑魅魍魎の様な人達なので・・、訂正します。皆様、内面は複雑な思考方法をお持ちで、あまり常識では計ることが出来ない思考回路をお持ちの方々なので、そういった格好はお似合いだと思いますよ。日が暮れた国会議事堂前を練り歩くこの世のものとは思えない異形のあやかし達。青鬼や赤鬼、布団や琵琶、箒などの付喪神、天狗に一つ目の大入道などなど。こんなシュールで恐ろしい光景は、映像的にも映えること間違いなしですよね。

 私は、この日本という国に生まれた事に感謝しています。この自由で開かれた社会の国で暮らしていける事を大事にしたいと思っています。そして、この自由で開かれた社会を壊そうとしている勢力がもしあるとするならば、それは許せない事だと思っています。もちろんこの日本でも、様々なご苦労をされている人達、不遇で恵まれない人達がいる事は理解しています。その様な人達のために、社会を変えるのだという理想を持っている人達の事は認めていますし尊敬もしています。そして、そういった人達は、自分の信じる何かに殉じて、この人達なりに一生懸命に生きているのだとは思います。しかし、ある種の人達からは、どう考えてもこの日本という国に、なんとかしてダメージを与えてやろうという邪悪な考えが透けて見えてしまいます。この国の形を変えてしまおう、革命を起こしてやろうといった荒唐無稽な思想を持っている様に感じてしまいます。私には、こういった人達は、ご自分と異なる考えや意見には全く耳をかさずに、ご自分達の理想を声高に叫ぶばかりの様に感じてしまいます。この人達には(もちろん我々全員も)、自分たちが行っている振る舞いが、この社会にとって良い事なのかどうなのかという事を、振り返ってよーく考えて見て欲しいと思いますよね。

Ohio:過ぎ去っていった熱い季節をいつまでも忘れられない人達、そんな人達へ・・・。

 Ohioは1971年に発売された、Crosby,Stills,Nash&Youngの曲です。彼らの2枚目のアルバム、4 Way Streetに収録されています。この曲は、アメリカ、オハイオ州の大学でのベトナム戦争反戦デモで、州兵による発砲で学生の死者が出てしまった事件について歌われています。実は私は、この曲をつい最近まで詳しくは知りませんでした。このバンドの事を教えてくれたのは、私の友達のお兄さんからでした。私は多感な中・高生の頃、社宅の子でした。その社宅は、一つの町が丸々社宅という、本当に大きな規模でした。社宅の子供達は皆、そのコミュニティーの中では一挙手一投足が知られてしまうという大変鬱陶しい、閉塞感満載の環境でした。私の同級生のお兄さんは私の洋楽のお師匠の一人で、様々なアーチストの事を教えてくれたものでした。私達がBeatlesやKissなどの話をしていると、お兄さんは「お前らそんな軟弱な音楽は聞くな」と言って、Bob DylanやCrosby,Stills,Nash&Youngの事を教えてくれました。私達青臭いガキ達は「こんな辛気臭い音楽のどこが良いんだ」などと当時は陰口をたたいていたものでした。このお兄さんは地元の高校でトップクラスの成績で、後に日本で一番賢い大学に進学するくらい成績優秀な青年でしたが、何故か社宅のお父さんお母さん達の間では評判が悪く、彼には近づくなという話が広まっていました。私は特に彼との接触は禁止されていませんでしたが、両親に理由を聞くと、そのお兄さんが左翼の人で、高校でも反戦新聞なんてものを作って問題になっていた人物だったからの様でした。当時は、何故か成績優秀な人達は左側でリベラルな人が多かったように思います。そして私のような出来が悪いボウズ達が、他校の可愛い女の子の話や、どうやったらエロ本を入手できるのか、どうやったらエロ本で隠されている大事な部分を透視できるのか、そういったくだらない話をしている時に、彼らは、マルクスが云々とか何やら難しげな政治の話など、私たちには到底理解できない様な話をしていたものでした。私が高校・大学へ行っていた頃は、学生運動は終焉を迎えて、少し前の時代に盛んだったベトナム反戦運動、フラワームーブメントやカウンターカルチャー、そういった社会の雰囲気はすっかり下火になっていましたが、その残り香は漂っていた時代でした。私と同年代の人達は、当時の雰囲気をわかっていただけると思います。

いちご白書をもう一度は、皆さんご存知の大変有名な曲ですよね。歌っていたのは、バンバンというグループで、作詞作曲はなんと、あのユーミンこと荒井由実さんです。この曲からは、学生運動華やかりし頃の社会の雰囲気や、当時の若者の感性などが、瑞々しく感じることができます。いちご白書は、アメリカの反戦運動に参加する若者達の青春を描いたアメリカン・ニューシネマと呼ばれた映画でしたが、日本では全く評判になりませんでした。こんな誰も知らない様な映画からインスピレーションを受けて、この時代の社会の状況を文字に綴って、美しいメロディにのせる事が出来るユーミンさんは、本当に素晴らしいソングライターですよね。その頃の多くの若者は、その後社会に出て現実の世界に適応していった事と思います。私は、今、国会議事堂の前や沖縄辺野古基地前で手を振り上げている人達は、かつての熱く変革を求めていた時代に絡め取られて、そこから抜け出す事ができずにいる、社会に適応出来ない気の毒な人達の様に感じてしまいました。数年前に、Bob Dylanがノーベル文学賞を受賞した時、私はこのお兄さんのことを思い出して、C,S,N &Yの”So Far”というアルバムを購入してこの曲を聞いてみました。この曲を聞いていると、当時の雰囲気などが感じられて、「あの頃はよかったなあ」などと感慨に耽ってしまいました。そして、昔は辛気臭いと敬遠していたジャンルのアーティストですが、「意外に良いなあ」などと思いながら「あの人は今何をしているんだろう」などとぼんやりと考えてしまいました。

このような駄文を最後まで読んでくださってありがとうございます。

皆様にとって明日が今日より良い日となりますように。

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いちご白書をもう一度 -Ohio-” に対して1件のコメントがあります。

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