時は流れて-The Long And Winding Road-
今回、身の程知らずにも憲法について説を垂れ流してみたいと思います。正直に申しますと、私は憲法について大した関心は持っていませんでした。もちろん憲法については、日本国の最高法規であり、国民の自由や権利、安全を護る大切なものであることは承知しています。そして、その内容、特に第9条について、護憲、改憲、加憲等様々な論議があることも知っています。意識が低いヒトである私でも、家には憲法本の1冊くらいは紛れ込んでいて、(何を隠そう石ノ森章太郎先生の名著、まんが日本国憲法ですが)そこにはちゃんと「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。そしてその為に陸海空軍その他の戦力は保持しない。」と書かれています。無知蒙昧の徒である私でも、憲法について考えることはあって、我が国の安全保障や自衛隊については、様々な解釈をして何とか辻褄を合わせているのが現状なのであれば、さっさと憲法を改正したら良いのにと考えています。しかし、憲法の解釈で日本の平和や安全が護られるのであればそれでもいいやとも思っています。要は、この平和で安全な、そして自由な国が存続し、発展していってくれれば何でもいいという、至って情けない人間なのです。こんなことを言っていると、世の中の志が高い人達から袋叩きの目に合いそうですね。しかし私は、家族の事や仕事の事、趣味の事や友人の事、そういう事を考えるのが忙しくて、そして何も考えず、ひたすらぼんやりとすることに忙しくて、憲法の事を考えている暇はなかったのです。なので、そうした面倒なことは偉い皆様が上手くやってくれるだろうと思っていて、全面的にお任せしますという他力本願な姿勢を貫いて来ました。
幸いなことに、私の周りには「憲法はこうするべきだ!」なんてことを拳を振り上げて叫んでいる面倒臭い人はいなかったので、大した考えも持たずに今まで”のほほん”と生きて来ることができました。こんな私が、初めて憲法について真剣に考えたのは、秋篠宮家のお嬢様の御婚礼騒動の時です。殿下は会見で、「憲法にも結婚は両性の合意にのみ基づいてというものがあり、本人たちが本当にそういう気持ちがあれば、親はそれを尊重すべきものだと私は考えている」といって、何かとお騒がせなあの婚約者との結婚をお認めになられました。私は、憲法を理由に皇室の方が、気に食わない奴(あくまで私の主観です)と娘の結婚をお認めになった事実を重く受け止めています。念のために私が信頼する例の憲法書で確認してみました。憲法書の中で(しつこい様ですがまんが日本国憲法です)、不仲な両家の為結婚できないジュリエットが悲しみにくれていると、ロミオは「僕たちは憲法で保証されているから結婚できるんだよ」なんてことを言っていちゃいちゃしています。私は嫌な想像をしてしまいました。自分の娘が、定職も持たずにぶらぶらしていて、モヒカン頭で鼻や唇にピアスをしていて、ジーンズは腰までずり下げた半ケツのだらしない男を連れてきて、「私、この人と結婚します」なんてことを言われたら、世の善良なお父さんはどうするのでしょうか?半ケツ・鼻ピアス・モヒカン男から、「結婚は憲法で保証されているのですよ、お父さん!」なんてことを言われたら、あなたどうしますか?私は、冷静でいる自信はありません。偉そうにアンガー・マネジメントなんて言っているくせに、半ケツ男をぶん殴って結構な騒ぎを起こしてしまうかもしれません。私は、ゴルフクラブを粗大ゴミの日に捨てることにしました。
今世間では、ウクライナ戦争を受けて、自衛隊や敵基地打撃能力などの話や、コロナウイルス蔓延で問題になった緊急事態時の私権の制限などについて、憲法改正との関連で盛んに論じられています。私は前述の通り全面的にお任せの情けない男なのですが、憲法について、そして改正すべきか否かということについて、今実際どのように話し合われているのかということについての関心はあります。近所の図書館で、何冊かの書籍を借りてきて読んでみる程度の興味も持っています。ベストセラー作家で愛国者としても知られている大作家様は、戦後GHQによって作られたという現在の憲法の出自そのものを問題にしていて、憲法は改正すべきと強力に論じています。そして9条に加えて緊急事態条項がないことから、現在の憲法の元では、日本の平和と安全は守ることはできないと警告をしています。さすがに稀代のベストセラーだけあって、入道先生の本は非常にわかりやすくて、私のようなボンクラでもその問題意識は理解できました。気鋭の憲法学者としてメディアに度々登場している神経質そうな優男教授の本も読んでみました。眼鏡先生は、憲法改正自体は否定していませんが、あくまでも現行憲法を基本に、その解釈でどうしても解決できない矛盾が生じた時には改正すれば良いという立場の様です。またそれは過去から現在まで話し合われてきた議論を基にしたものであるべきであり、あくまで憲法学者を中心とした意見を基に考えるべきという意見の様です。眼鏡先生の本は、やはり研究者が書いたものだけあって、なんだか禅問答のようで難解で、正確に作者の意を汲み取っているのか私には自信がありません。いずれにしても、憲法の改正には反対してはいない様です。
憲法改正の発議を行う国会ではどうなっているのでしょうか?憲法改正については、主に「憲法審査会」という常設機関に付託されて話し合われています。実際にどんな話をしているのか、ネットで衆議院憲法審査会の議事録を読んでみました。これがなかなかの苦行で、なにせ2011年に審査会が設置されて以来延々100回も開催されているのです。そして恐ろしいことにこれだけ会議を続けてきて(わずか5分で散会なんて時もありますが)、まともに決まった事案は何一つないという体たらくです。憲法改正を行う際の国民投票法改正案について、ようやく本年6月にひとつの結論が得られましたが、それも国民投票の際のCM規制をどうするか今後3年間で検討するという何とも中途半端な附帯決議つきです。議事録の内容も、このヒトたちが真剣にこの問題に取り組んでいるのか疑いたくなるような内容でした。皆様好き放題の発言をしていて、自分の又は自分が所属する政党の意見を主張するばかりです。重箱の隅をひっくり返してばかりで、本質的な話はほとんどない空虚な議論ばかり延々と続けているのです。こいつらは(とうとう"こいつら"呼ばわり)、憲法が日本の平和と国民の安全で幸福な暮らしを守る為にあるという本来の目的が全くわかっていない烏合の衆なのです。何やら難しい話をしているのですが、その実、議事進行は馴れ合いで、中学生のホームルームの方がよっぽどマシです。そしてあろうことか、何かと理由をでっち上げて、平気でサボりをかましたりしています。メディアでの総理や閣僚の発言が気に入らないからだとか、コロナ蔓延時に悠長に憲法の話なんかしている場合ではないだとか、予算案審議中はそちらに集中するべきだなどと、子供のような理由でサボタージュをしている有り様です。恐らくこのヒトたちはこのままズルズルと引き伸ばして永遠に何も決まらなければいいと思っているのでしょう。私は、この難しい問題は偉い人達に任せるというポリシーですが、こんな連中に任せる気にはなりませんね。
怒りに震える私は、お得意の妄想をしてしまいました。巨大メディアグループのドンであるナベツネ主筆が、自分の目が黒いうちに何とか憲法改正をするんだという強い決意で一大イベントをぶち上げたというシナリオです。それは、巨人軍御用達テレビ局独占生中継のディベート決戦で、この結果を持って憲法改正論議に結論を得るという魂胆です。テーマは「緊急事態条項を憲法に加えるか、加えないか」。改正賛成派を代表して自民党チーム。改正反対派代表は立憲民主党チームで、まさに与野党ガチンコの対決です。改正チームのメンバーは、まずプレゼンターとして立論を述べるのは、菅前総理にお出ましいただきたいですね。期待に違わない原稿棒読みで、判定員の心をぐっと掴むことでしょう。そしてアタッカーとして反対尋問を行うのは、弁舌爽やかな高市政調会長は如何でしょうか?ディフェンダーとして、相手の質問に反駁する役目としては、けんもほろろの断定口調で相手をいらつかせる河野元ワクチン担当相でどうでしょう?そしてアンカーとして最終弁論を担うのは、やはり安倍元総理にお願いしたいですね。対して改正反対チームは、プレゼンターは弁舌巧みだけれど何だか嘘くさい枝野前党首でしょうか。アタッカーは舌鋒鋭く相手を追い詰める蓮舫さんが適任ですね。そしてディフェンダーはへらず口を語らせたら日本一の国会のクイズ王、小西さんは如何でしょうか?アンカーとして最終弁論を担うのはやはり、モグラ首相、野田元総理をおいて他に人はいないでしょう。何だか2012年の政権交代前の国会での党首討論を思い出しますね。難しいのはジャッジを誰が行うかという点です。これはAIに任せてしまうというのは如何でしょうか?誰もが主義主張は持っていて、人間ではなかなか公平な判定は難しい様に思えます。AIならきちんと客観的に判定をしてくれそうです。もちろん判定に法的な根拠は一切ありません。しかし、大きなイベントをぶち上げてマスコミが取り上げてくれたら、その結果は一定の圧力を持って世論に影響を与えることになると思うのです。
こんな事を言っていると、憲法学者の人達や、意識の高い人達から「憲法を愚弄するな!」と目を三角にして怒られそうですが、難しいことばかり言って現状を変える気が全くない人達や、延々と議論だけをして結論を出す気がない人達には「小田原に行って蒲鉾でも食ってろ!」と言いたいですね。国会議員様達が小田原評定を続けている間、世界の情勢は刻々と変化しています。そして、マスコミの憲法に関連する報道はあくまでも断片的です。おまけにその報道には角度がついていて、それがさらにサボリ議員様を付け上がらせています。「民主主義は面倒くさいもので、遠回りをしながらそれでも正解に近づいていくものだ」などとおっしゃる偉い人がいます。サボり議員様達も、当人達はいたって真剣で、遠回りになりながらも正解に近づいているつもりなのかもしれません。しかし私には、その足並みは絶望的に鈍足で、おまけにコースアウトや転倒を繰り返してばかりで、時には逆走までしてしまっている様にみえるのです。根性なしで他力本願の私ですが、他国の侵略行為や自然災害から我々の生活を護るためには、悠長に構えている場合ではないという思いがあるのです。
The Long And Winding Road:道程は果てしなく遠い。この長く曲がりくねった道が、いったい何処に私たちを導いてくれるのか・・・。
The Long And Widing Roadは1970年に発売されたThe Beatlesの最後のスタジオアルバム、Let It Beに収録された曲です。この曲は以前紹介させていただいた、Strawberry Fields Foreverと同じく通称青版と呼ばれているベストアルバムにも収録されていて、中学生の時近所のビートルズの熱狂フアンのお姉ちゃんに借りてたこのアルバムで初めて聞きました。青版のラストを飾っているこの曲は、本当に美しい旋律で彩られた曲で、大好きな曲でした。Let It Beを制作している時、ビートルズはメンバーの不仲が深刻で、すっかり心が離れてしまった状態で作られたアルバムであると言われています。ジョン・レノンはクソの山だなんて酷い事を言っています。しかし、収録されている曲は、素晴らしい作品ばかりです。そして、この曲はその様な状況のバンドを憂いていたポール・マッカートニーの心の葛藤が表現されている様に思えます。自分を悩ませているものを眺めながら、自分ではどうしても手が届かないもの、決して辿り着けない扉、そして延々と続く道について歌った曲だとポールは語っています。憲法については、今まで長い道程をまさに紆余曲折を経ながら、そして解釈を様々に変えながら、結局その本体は何も変わらず今日に至っています。私は、この日本国憲法が今後どうなっていくのだろうか、今後私達はこの憲法を抱きながらどの様な未来を迎えるのだろうか、この美しい調べの曲を聴きながら、そんな事をぼんやりと考えてしまいます。
このような駄文を最後まで読んでくださってありがとうございます。
皆様にとって明日が今日より良い日になりますように。
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