祭典の日-Celebration Day-
いよいよ北京オリンピックが開幕となりましたね。開会式はご覧になりましたか?色々と文句をつける人もいますが、それはさておき、美しいプロジェクションマッピング、よく練られた構成、簡素にまとめられた演出で非常に評価は高かった様に思います。私のような凡人は、オリンピックのような大規模なイベントは、それだけで心が踊ってしまいます。私は自他ともに認める変人なので、各国の入場行進が大好きでなのです。各国選手団のコスチューム、行進しているときの表情や振る舞いなどがそれぞれ個性豊かで、お国柄みたいなものも感じられ、毎回楽しみにしています。今回も、東ティモールやカザフスタンなど、民族衣装をベースにしたユニフォームで、華やかな場所に彩を加えてくれていましたね。サモワの旗手の人は、裸に腰巻きの衣装でしたね。見ているこちらが寒さに震えてしまいましたが、当人は誇り高くまさに威風堂々と振る舞っておられました。(だけど体は真っ白で、血の気がなくなっているような感じで、彼は大丈夫だったのでしょうか?)イギリスも、ユニオンジャックを象ったユニフォームで、奇を衒わないおしゃれな衣装でした。我が日本はデサント製の公式ユニフォームできっと性能はピカイチなんでしょうが、見た目は平凡で至って普通でしたね。いかにも日本らしいですが、私はちょっと残念でした。
日本の行進を見ながら、私などは不謹慎ですが、日本もせっかく着物という世界に名だたる衣装があるので、もっと遊び心を持ってもよいのではないかと妄想を膨らませていました。きっと正しく生きてきた人たちからは怒られると思いますが、誰も読んでいないこのブログなので、失礼を承知で書きます。例えば大名行列はどうでしょう?これは性差別につながるかもしれないのでバツですね。それでは花魁道中はどうでしょう?これもジェンダー活動家の人達からの総攻撃を受けるのでバッテン。それでは狐の嫁入りはどうでしょう?これなら老若男女お構い無しだし、第一あのN95マスクをつけると、皆狐顔になりますし、マスクに狐のお面の装飾を加えたらどうでしょうか?そして「花婿はやはり羽生くんかな?花嫁は小平さんがいいな。花嫁が騎乗する馬の役は、橋本さんと山下さんにお願いしたらいいんじゃなかろうか。」などど妄想はつきません。
本当はオリンピックは政治とは無関係なはずで、紛争中の国も対立している国も、オリンピック期間は停戦するという建前がオリンピック憲章には書かれているそうです。残念ながら今回のオリンピックは、中国政府の新疆ウイグル自治区に対する人権侵害が主に西側諸国の非難の的になり、様々な軋みが国際政治の場所で起きていて、それはオリンピックについても例外ではありません。例えば、政治的ボイコットという形で政府関係者を開会式に派遣しないということをアメリカをはじめとする西側各国は決めました。我らが岸田総理もすったもんだの挙句、政府高官は派遣しないことを決定しました。その結果、開会式に参加したのは、大部分は親中的な国であったり国際機関のリーダー達ということになりました。顔ぶれを見渡してみると、寒い国のマッチョなナルシスト・プーチンを初め、サウジの殺人王子・サルマン皇太子、WHOのパンダハガー・テドロス議長など、まさに魑魅魍魎、ならず者全員集合といった有り様になってしまいました。大体ロシアはドーピング問題で参加できないことになっているのにプーチンがその場にいるのはおかしいですよね。「何でちゃっかりお前がおるんじゃ!図々しい!お前は出禁やぞ!」とツッコミを入れたくなりますね。
もちろん、オリンピックの主役はアスリート達です。本来こんな薄汚い連中は全く用無しですが、アスリートは国家を背負って参加しているので、国を代表する人々が出席するのは仕方がありません。そうであるならば、せめて日本は、本来のオリンピック精神に基づいて、政治的ボイコットみたいな姑息なことはやめてはいかがでしょうか?中国政府に苦しめられているウイグルの人たちや香港の人たちには大変に申し訳ないのですが、冬季五輪が北京で開催されるのは決まってしまったことであって、仕方がないことだと私は思います。人権侵害の問題は、それなりの場所で、きっちり話をつけることにして、せめてアスリートにとっで祭典である開会式は、世界の皆さんと一緒に祝うことはできないのでしょうか?開会式に出席してしまえば、謝ったメッセージを世界に発信することになるし、習の野郎と政治向きの話をしなければならなくなると言われる向きもあると思います。ライトスタンドの人たちから猛烈に怒られると思いますが、私はこういう時にこそ皇室の方々の出番だと思っています。オミクロンが猖獗を極めている中、陛下や秋篠宮殿下にご足労をおかけするわけにはいきませんが、佳子様、あるいは愛子様に開会式参加をお願いする事は出来ないものかと思います。再び私は妄想してしまいました。静々と行進する狐の嫁入りのわが日本国選手団。そして艶やかで匂い立つような可憐なお姿でお手を振りになる愛子さま。愛子さまの前に来た時には、馬上の小平さんは下馬して、全員深々と一例をして、再び静々と歩き去っていく狐の嫁入りの行列。きっと私の頭はどうかしているのでしょう。私は病院に行ったほうがいいのでしょうか?
私の妄想はともかく、政治とは全くない皇室の方が五輪の開催を寿ぐ、これはオリンピック精神にも合致していると思いますし、日本の政府もはっきりと、皇室の出席は五輪の開催を祝するとともに、アスリート達の健闘を心から祈願しているのだときっちりと声明を出せばいいと思うのです。政治向きの話はこの場ではやめましょうとはっきり言えばいいのです。私はお花畑の住人なのでしょうか?私はただ、私がリスペクトするアスリートたちが、己の実力を遺憾無く発揮して、私たち凡人が驚愕するようなフィジカルとテクニックを見せてくれたらそれでいいと思っているのです。そのために最高の舞台をみんなで用意してあげたいのです。北京オリンピック開会式は,ウイグル族と漢族の男女によって聖火が氷の結晶を象った聖火台に灯されて終了しました。素晴らしい開会式が、最初から最後まで政治に汚されてしまった様に感じたのは私だけではないと思います。せめてアスリートの皆さんには、競技の場で素晴らしいパフォーマンスを発揮してほしいと願っています。
Celebration Day 壮大な偽りの祭典の後に、本物の素晴らしい劇場がオープンする。誇り高いアスリート達の激しくかつ華麗な戦いを期待して・・・。
Celebration DayはLed Zeppelinが1970年に発売した、Led Zeppelin Ⅲの3曲目に収録された曲で、邦題は「祭典の日」ということになっています。このアルバムは、熱狂的なZepフアンの間ではあまり評価されておらず、私も高校生のころ、評論家の大御所、渋谷陽一さんが酷評していたことを憶えています。しかし私はこのアルバムは結構好きで、特にこの「祭典の日」はJimmy Pageの変則的でなんだかへんてこりんなリフが妙に印象的で、当時、このアルバムのA面ばかり、好んで聞いていた憶えがあります。この曲でRobert Plantは、女性が顔をしわくちゃにして笑顔を見せているけれど、その影には恐怖があると歌っています。そして祭典の日をみんなが祝っているけれど、勝者が鳴らす鐘の後ろには、女性の慈悲に満ちた叫び声があると歌っています。なんだか支離滅裂な詩ですが、今回の北京オリンピックに妙に似合っている様にも思えます。
このような駄文を最後まで読んでくださってありがとうございます。
皆様にとって明日が今日より良い日となりますように。