雨上がりの夜空に -I Shall Be Released-

 福島原発処理水の海洋放出が始まりました。福島原発の敷地内で大量に保管されている膨大な数のタンクは、私達国民全員の心に暗い翳を落していましたよね。毎日の様に際限なく増え続けている核汚染水とそれをALPSで浄化処理を行った処理水のタンクが、これでようやく歯止めがかかる事に私も、そして多くの国民も安堵したのではないでしょうか。しかし、地元の皆さんや漁業・水産加工業など関係業種の人達は、風評被害への懸念を拭い去る事が出来ずに、放出に疑問を、あるいは反対を表明されていましたね。私の様な傍観者とは異なり、この人達にとっては当然の心配事ですよね。傍観者の中でも、政府が行う事にはなんにでも文句をつける傾向がある人達は、当たり前の様に大反対をしているのですが、「それならあのタンクをあんたたちはどう始末するんじゃ?」と思ってしまいます。文句ばかり言っている人達には、あんな迷惑な代物を、いつまでも抱えておかなければならない地元の人達の事を少しは考えて発言をして欲しいものですよね。海外の反応は様々なグラデーションで報じられていましたが、IAEA(国際原子力機関)による調査と査察で処理水の安全性が証明されてからは、各国おおむね肯定的に捉えてくれている様です。以前は強烈に反対していた韓国も、現政権下では理性的な対応をしてくれていて、頭がおかしい連中が牛耳っている野党の人達を除いては容認する態度をとってくれています。しかしながら近隣諸国では、中国と北朝鮮、そしてロシアというならず者3兄弟だけが、安全性の科学的根拠が得られた後も、全く態度を変えることなく処理水海洋投棄に対して厳しい態度を取り続けていますよね。

 それにしても、隣国からの傍迷惑な行為については、嘆かわしい限りですね。電突(意味もなく電話をかけて、一方的に文句を垂れ流す事)などという犯罪行為を促す動画がSNSで拡散されて、福島県だけではなく日本全国の役所や飲食店、ホテルなどに大量の迷惑電話が掛けられていた様ですね。又、日本人学校や在留大使館に、煉瓦ブロックを投げ込むというおよそ文明国とは思われない野蛮な行為もあった様ですね。「こんな明確な犯罪行為を、何故国家として取り締まらん?」と思ってしまうのですが、いつも憎まれ口ばかり叩いている中国政府のスポークスマンの人は、「そういった行為を我々は承知していない」などとしらじらしい事を発言していましたね。そしてとうとう中国政府は、日本産水産製品の全面禁輸措置まで取ってしまいましたよね。「どの口がそんな事をほざいとるんじゃ!」と、あの小面憎い広報野郎の唇をひねりあげて、「おどれの国の毒液まみれの海にほうりこんだるど!」と凄みたくなってしまうのは私だけでしょうか。

 こういった隣国の心無い行為に対する我が日本政府の対応は、甚だ情けないものですよね。官房長官殿(見事に留任!)の会見は、「極めて遺憾で憂慮している。中国には冷静な対応を呼びかける」という誰でも言えるような事を棒読みで語っただけでした。無知蒙昧な私だって、「国際外交の世界ではこういった抑制的な発言をしなければならないものである」という事は重々承知しています。その反面で、「遺憾で憂慮とはどういう意味じゃ?何をいいたいのかさっぱりわからんぞ!この根性なし!」と安全運転に終始している小役人顔の官房長官に対して、思いっきり文句をつけたい気持ちも持っているのですが、小役人連中には到底無理筋なのでしょうね。であるならば、こういった時には、日本一の失言王の出番を期待してしまいますよね。誰あろう麻生自民党副総裁その人です。麻生さんには、是非ともその能力を遺憾なく発揮してもらい、言われっぱなしの日中関係に楔を打ち込んで欲しいと期待してしまいますね。「それにしてもあの広報担当者は品がないことを言うねえ。親分が品性下劣なヤツだと、子分までが下品な人間になっちまうのかねえ。まあ、いかにもおつむの回りが悪そうなご面相だからねえ。しょうがねえよなあ」と口をひん曲げて憎々しい顔で言い放ってくれたら、言われっぱなしのストレスも少しは和らいで、しかたがないなあという気持ちになるかもしれませんね。与党の実力者の発言という事で結構な国際問題になるかもしれませんが、どうせ引退間近なので、責任を取って引退する事にしてくれたらそれで万時丸く収まるというモノですよね。もしかしたら与党の実力者が引退して謝ったという事で、硬直した日中関係に良い変化を起こすきっかけになるかもしれません。そして、どうせロクな事をしていない“フクソーサイ殿なので、引退してくれたら、正に一石二鳥、一挙両得という事で万々歳ですよね。

 日本の中国問題専門家といわれている人達は、皆さん押しなべて、中国政府がこの様な頑なな態度をとっている理由は、国内問題が抜き差しならない所に来ているので、国民の目を他にそらす為だという類の発言をしています。その為の格好の得物が日本であるという事なのですね。確かに、これまでも中国政府は、自分達の都合が悪くなると、その度に反日を煽ってきましたよね。皆さんご存じの通り、コロナ終息後の中国は、この大国が抱えていた闇の部分が一挙に表に出てきた様に思えます。現在この国は、深刻な不況に喘いでいて大変な状態である様です。欧米各国からは、過去から行ってきた数々のスパイ行為や影響力工作を理由に、強烈なデカップリングを受けています。先端半導体技術をはじめとするIT関連製品は、軒並み輸出制限を受けていて、その上カントリー・リスクを考慮した多国籍企業は中国からどんどん撤退をしていて、ベトナムやインドにサプライチェーンを構築している様です。長年続いた一人っ子政策の弊害である少子高齢化は、日本をはるかに上回る恐るべきスピードで進行していると言われていて、老人国家への道をまっしぐらに進んでいます。無理に無理を重ねて来た不動産のバブルは、崩壊の時が近づいていて、スカを掴んだ庶民の人達の不満のマグマは今にも爆発しそうです。各種経済統計は横ばいという発表がされていますが、中国国家統計局は、鉛筆の先を舐めるのが得意技で、彼らの発表する数値は当てにならない事は公然の秘密となっています。なので本当は、各種経済統計は相当に悪い状況なのでしょう。若者の失業率は、6月に20%を超えて以来、国家統計局は数値の発表をしなくなりました。一説によると失業率は50%を超えていると言われていて、大変な状況にある様です。皆さんご存じのとおり、経済統計の中でも雇用は特に重要な指標ですよね。雇用悪化の反面で無気力な若者が増えていて、「寝そべり族」なる若者が増殖していて、社会問題になっている様です。働く意欲に燃える若者も大変な事になっています。中国の大学卒予定者は1600万人という途方もない数です。そのうち半数あまりの新卒者が職に就けない事になっていて、やる気がある若者は、どんどん海外に流出している様です。地方政府のバランスシートは全くのブラックボックスなのですが、どんぶり勘定役人達がシャドウ・バンキングで積み上げた負債は大変な事になっていると言われています。ブルームバーグの論評では、地方政府の債務は、66兆元(9兆1千億ドル:約14兆円)の債務超過と推計されていて、既にディフォルトに陥っていると言われています。ケンシロウに、「お前は既に死んでいる」と言われたハート様のようなものなのですね。後は、「ひでぶ!〇△×!」と叫んで、全身の穴という穴から血と体液が吹き出して、全身がバラバラになるのを待つだけの状態なのですね。

 私と同年代、もしくはもう少し上の年代の人達は、中国が今の姿(世界第2位の経済大国で、国際社会に驚くほど大きな影響力を有する大国)になってしまった事に今更ながらに驚いているのではないでしょうか?私が子供の頃に持っていた中国のイメージは、国民全員が、ヘンテコリンでとてもダサいのだけれどもなんだか可愛らしい、同じようなデザインの服(おなじみの人民服です)を着ている、近代化が少し遅れている国というものでした。しかし実は、鄧小平が国の方向を改革開放に舵を切って以来、世界の工場としての地位を確立して、中国の国力は猛烈なスピードで上昇してきたのですね。とうとう2010年には、日本のGDPは中国に抜かれて、世界第2位の経済大国の座を中国に譲り渡す事になってしまいました。その後の中国は、目覚ましい発展を遂げて来ましたね。定期的に起きる反日運動には閉口するのですが、WTOやG20という国際的な枠組みにも加盟して、国際社会の中で、一定の力と責任を持った大国への道を歩んでいる様に、私には感じられていました。しかしいくら経済的に豊かになっても、この国は中国共産党が支配している一党独裁の国家であり、民主主義とは程遠い存在である事も確かです。1989年に起きた天安門事件については、連日日本でも報道されていましたよね。天安門に集まった学生たちに人民解放軍が突入して鎮圧した時には、やはりこの国は民主主義とは相いれない立ち位置の国なのだという事を感じたものでした。

 共産党が支配している中華人民共和国は、今までも国際社会においては異質な立ち位置の存在でした。しかし、いよいよ迷惑で厄介な存在になってしまったのは、臭・珍品氏、もとい訂正します。しゅう・きんぴら様…、もう一度訂正します。”怖くて名前を言えない例のあの人”が権力を握ってからですよね。2011年に総書記に就任した例のあの人は、中華民族による偉大なる復興というスローガンと、中国を中心とする巨大経済圏を創り上げるという“一対一路”という構想をぶち上げましたよね。そして、己の野望を剝き出しにして、領土の拡張や権利の強奪、技術の泥棒行為を隠さない様になってしまいました。それまでの中国からは、鄧小平が「白い猫でも黒い猫でも、鼠を摑まえる猫が良い猫だ」と語っていた様に、ある種の鷹揚さが感じられていたのですが、きんぴら様が権力の座を握って以降は、「ワシが一番偉いんだけんね」「ワシのいう事を聞かない奴はゆるさんけんね!」という鼻持ちならない尊大さと厳しい締め付けを行ってきて、居心地が悪くて住み辛い国になってしまった様に感じます。大体自分の考えを「習近平思想」などと呼んで、国民にその考えを押し付けてきて、自分の事を「核心」などと呼ばせて悦に入っている様な奴が、碌な人間である筈はありませんよね。このご仁は、とうとう憲法を改正して、2期10年であった国家主席の任期の期限を無くして、今後も権力の座に座り続けるという野心を隠さなくなってしまいました。

 私はこの人物の顔を見るたびに、「なんという悪相なんだ」と思ってしまいます。いつも仏頂面をしていて、ごく稀に笑顔をみせることもありますが、実はその目は笑っていないという典型的な悪人顔ですよね。そしてその目を観察すると、感情が全く現れない蛇や鮫などの冷酷な動物の目を思い出してしまいます。江沢民や胡錦涛も大概の悪人面でしたが、それでも時折みせる笑顔はそれなりに魅力的に見えたものでした。ところがこの御仁が笑顔をみせても、全身に“さぶいぼ”(鳥肌)が走ってしまいますよね。このヒトの声も時折国際ニュースで聞くことがありますが、抑揚がないうえにリズムもない、強弱もなければテンポもないという、およそ感情というモノが感じられない、まるで木偶の坊の様なしゃべり方ですよね。演説の中身も、おおよそ知性というモノが感じられない原稿棒読みです。人間の魅力は、その人が持つ能力や人間性など、様々なファクターによって認識されるものとされていて、表情や話し方はその中でも最も基本的・根本的に判断される要素と言われています。それは、様々な研究によって確認されている様です。私達のご先祖様は、進化の過程で、言葉を持つ以前、相手の表情や声の抑揚で敵味方を判断して、協調しながら生き残って来たのです。言語を持った後においても、表情はその人となりを判断する重要な要素であり続けています。話す言葉についてもとても重要な要素となっていて、「何を話すか」よりも「どの様に伝えるか」という事がコミュニケーションにおいては重要である事は、科学的にも確認されています。その伝で言うと、このきんぴら様という人物は、おおよそその様な魅力とはもっとも縁遠い類の人物ですよね。こんな男が、権力の頂点まで辿り着けたのは、恐らく相当に悪い事をしてきたからなのでしょうね。いらんお世話だとおもいますが、こんな男が、最高権力者の座に偉そうにふんぞり返っている中国という国、そしてそこに暮らす人達が気の毒でなりません。元々共産党が支配しているこの国には、自由な雰囲気や人権の意識は希薄でした。チベット仏教への弾圧やウイグル族への人権侵害は以前からも行われていました。しかし、現在ではそういった厳しい締め付けは更にエスカレートしている様に感じられます。香港民主化運動への弾圧や、反スパイ法、密告奨励法の施行など、本当にやりたい放題やってやがりますよね。

 中国の長大な歴史を俯瞰してみると、短命な王朝が多い事に驚いてしまいます。キングダムでお馴染みの秦はわずか15年で滅びていますし、遣隋使で有名な隋も37年しか存続していません。元寇でご存知の元も100年に満たない王朝でした。中国の王朝が滅びていくパターンには定番の法則がある様です。政権の驕りと権力の腐敗、誤った民政による民衆の不満、この様な事が積み重なって人心が離れてしまって、革命勢力または外圧による政変からの滅亡がお決まりのパターンの様ですね。中華人民共和国は1949年の建国という事になっているので、今年で74年目ですよね。この何もかもがスケールが大きい国を治めていくのは、並大抵の事ではないのでしょう。一党独裁でなければ上手く行かない事も多いのかもしれません。この国の目覚ましい発展をみていると、共産党政権はこれまでは上手くやって来たのかもしれません。毛沢東が治めていた頃は、多くの国民が食べていく事も困難な時代で、大躍進政策という失政の為に何千万人(一説によると5千万人以上)もの人々が餓死をしてしまったと伝えられています。現在は、貧富の差はある様ですが、曲がりなりにも国民全員が食べていけている様です。しかし、現在のきんぴら様が行っている事を見ていると、歴史は繰り返すという事を考えてしまいます。何を隠そうこの私、きんぴら様とそのお仲間が大嫌いなのです。2014年と2019年に行われていた香港の民主化運動では、本当に多くの若者たちが、共産党政権による理不尽な締め付けと戦っていました。香港返還後に交わされた、当初50年間は一国二制度による特別行政区としての自治を認めるという約束を骨抜きにしたのは中国政府なのです。香港警察のゴロツキに催涙弾を撃ち込まれて、警棒で滅多打ちに叩かれながらも戦っていた香港の人達を見ていて、私は自由である事の大切さを考えてしまいました。綺麗事かもしれませんが、民衆を恐怖と弾圧で縛り付けてくるような社会よりも、自由な社会のほうが、人間らしい生活や日々の喜びを感じる事が出来て、明日への希望を持って暮らしていけると思ってしまいます。幾つになっても青臭い私は、人間は、自由である事、そしてその自由を手にするために日々頑張っていく事が、毎日きちんと食べて暮らしていける事と同じ位大切であると思っているのです。

I Shall Be Released:がんじがらめに縛られた窮屈な暮らしより、自由を求める若者たちへ。香港に栄光あれの歌声と共に・・・。

I Shall Be ReleasedはBob Dylanが1967年に作詞作曲した曲で、The Bandというなんとも人を小馬鹿にしたような名前のバンドが1968年に発表したアルバム、Music From Big PinkのB面ラストに収録されています。私がこの曲と出会ったのは、大学生の時に住んでいた学生寮で知り合った先輩に教えてもらったのが切っ掛けでした。その人は、いわゆる左翼の人だったので、加川良や岡林信康・友部正人といったメッセージ・フォークソングが大好きで、ザ・ディランⅡというバンドがこの曲をカバーしている事を教えてくれました。当時の私は、愚かな若造で、私達の少し上の世代の人達が、何の為に学生運動や反戦運動といった活動をしていたのか全く理解できない青臭いガキでした。ボブ・ディランが書きおろしたこの曲の含蓄があるlyricも、さっぱりわからない只の鼻たれだったのです。私達脳足りんな悪童達は、「お日様が西から東へなんて、まるで天才バカボンだよな!」なんていう悪口をたたいていました。しかし、私達が当たり前の様に享受している自由な空気が世界では当たり前ではないという事が、お隣の大国を見ているとまざまざと思い知らされてしまいます。香港では多くの若者達が、2014年には催涙弾の白煙の中で雨傘を差しながら戦っていました。2019年には、「香港に栄光あれ」という歌を、煙に巻かれて涙を流しながら歌っていました。私にはその歌が、The BandのI Shall Be Released、そしてザ・ディランⅡの「男らしいってわかるかい」につながっている様に感じられているのです。リチャード・マニュエルのなんだか頼りない、そして微妙に下手糞な、それでもとてもいい味を出しているファルセットの歌声を聞いていると、自由であるという、まるで空気の様な事の大切さが、ひしひしと伝わってきます。日本で暮らしていても、窮屈で不自由な思いを感じる事も何かと多いのですが、それでも、多くの先人・先輩たちが積み上げて来てくれた「自由な空気」を私達は大切にしていかないと、と改めて感じてしまったのでした。

このような駄文を最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

皆様にとって明日が今日より良い日となりますように。

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