羽飾りのトリック -Joy To The World-

 パリ・オリンピックが閉幕しました。連日熱い戦いを繰り広げてくれたアスリートの皆さんには、心から御礼を申し上げます。五輪という最高のステージで躍動する皆さんの姿は、私達に7時間の時差を忘れさせてくれて、毎日があっという間に過ぎてしまいました。一方で今回の五輪は、不安定な国際情勢の中で行われた大会であった為、国際社会の分断が与える影響が不安視された大会でもありました。フランス当局のご尽力のお陰で、幸いにもテロなどの大きな騒動が起きることなく、無事に大会は終了しましたが、今回の五輪は、ジャッジや競技におけるジェンダーの問題、そしてSNSでの選手への誹謗中傷などが何かと物議を醸した大会でしたよね。フランスによる五輪の運営については、過度な環境への配慮や選手村のビーガン食などのあれやこれやが時に独りよがりで傲慢に感じる事もありましたが、全体的には洗練されたとてもいい大会であったと私は感じています。特に私の印象に強く残ったのは、開会式のオープニングセレモニーですね。

 パリの市街地とセーヌ川で繰り広げられたオープニングセレモニーは、良しにつけ悪しきにつけ結構な騒ぎになっていたので、放送を見ていない人もその内容についてはご存じの事と思います。時間が経過した今でも賛否両論、喧々諤々と様々な意見が語られていますよね。今回のセレモニーは、フランスの国是である「自由」「平等」「友愛」をベースにおいた12のTableauで表現されていると公表されています。ちなみにタブローとは描画を意味する言葉なのだそうです。文字通り、タブローとして示された個々のテーマが、まるで絵画がキャンパスに描かれていく様に私達の前で展開されていきました。私の個人的な感想は、洗練された上質な演出で、パリという街が持っている歴史の深みや、この街で暮らしている人達が持っている自国の文化に対する誇りと愛情が感じられた素晴らしいセレモニーであったと思っています。しかし私の感想とは裏腹に、そうは思っていない人も大勢いる様です。

 物議を醸しているのはliberte(自由)と題したタブローで、コンシェル・ジェリーという歴史的な建物で繰り広げられたショーです(この建物は、フランス革命の時にマリー・アントワネットとルイ16世が投獄されていた監獄なのだそうです)。ギロチンで切られた首を胸に抱えたマリー・アントワネットが、へんてこりんな歌を唄いながら監獄の窓から登場するシーンは、皆さんもいろいろな媒体でご覧になったと思います。このギロチン王妃様の生首が歌っていたのは、“Ca ira(サ・イラ)”という革命の歌で、「うまくいく。うまくいく。貴族たちを吊るし首にすればすべてがうまくいく(意訳)」という内容なのだそうです。そしてその歌はヘビーメタルバンドの演奏に引き継がれて、エンディングではこの歴史的な建物が、鮮血が飛び散る様に赤いスモークとテープで包まれました。このエッジが効いた演出に関しては、いろいろな人が、「悪趣味」、「残酷」、「気持ちが悪い」といった生理的な嫌悪感を語っていました。更には、「暴力を肯定している」、「テロを容認する内容である」といった類の発言まで飛び出しています。

 更に騒ぎを大きくしているのは、Festivite(祝祭)と銘打たれたタブローです。ここで問題視されているのは、フランスの有名なドラァグクイーンの皆さんによる、レオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」を想起させるパフォーマンスです。登場してきたキリストと12使徒を思わせる人達が、ドラァグや性的マイノリティの皆さんなのがけしからんということなのでしょうか。それとも突如出現したほぼ全裸の青いおじさんが、不謹慎だということなのでしょうか。SNSを中心に名もなき素人から著名人に至るまで、いろいろな発言がなされています。終にはローマ教皇庁までもが「多くのキリスト教徒や他宗教の信者に不快感を覚えさせる演出があったことに心を痛めている」、「世界が集う名誉あるイベントで信仰を嘲笑するような表現があってはならない」という公式の声明で不快感と抗議の意を表明しています。

 確かにこの2つのタブローからは、もめ事の臭いがプンプン匂ってきますよね。しかし、挑戦的で尖った表現は、只ならぬインパクトがあった事は間違いありませんよね。残念ながらIOCの根性なしは、「もしも傷ついた人がいるのなら本当に申し訳ない」と正式に謝罪をしてしまいましたが、私としては、「謝るぐらいなら最初からやるんじゃねえよ」といった気持ちですね。こうした斬新な試みに対しては、だいたい360°全方位からの様々な意見が出てくるものですよね。それを簡単に謝って、とりあえず穏便にというのは、いかにも役人根性丸出しで、げんなりしてしまいます。私は、いろいろな意見があっても良いのではないかという立場です。一概に、良し悪しや、正しい・誤りであるという事を決めつけてしまうのは不毛な事だと思っているのです。セレモニーを見た人が、その人なりの感じ方を持って評価をすれば良い事であって、その考えを人に押し付けて来てマウントを取りに行くのは無粋な事だと思いますね。今回問題視されている、多様性についてどう考えるのかという事や、表現の自由はどこまでが許容されるのかといった個々の価値観に関わる事柄については、結論を決めつけて持論を押し付けてきたり、タブー視して目をそらしてしまうのは不易な事だと私は思いますね。そういった意味では、権威を笠に着て文句をつけて来たバチカンや手っ取り早く謝罪してしまったIOCの態度にはがっかりしてしまいますね。

 むしろ私としては、「我が日本でこれを超えるものができないものだろうか」という対抗意識を燃やしてしまいましたね。「パリがセーヌ川なら、日本には水の都大阪がありまっせ!」というくだらない妄想をしてしまいました(セーヌ川で行われたアスリートパレードは天神祭りの船渡御のパクリだと私は睨んでいます)。しかし、船を用いた入場行進は、格差満載で国力の違いを見せつけられている様でなんだか微妙でしたね。アメリカや中国などの大国は、大船に満載の選手を乗せて悠然と川を下っていて、「ワシらが世界を動かしているんだけんね」という大国の傲慢さを見せつけていましたよね。一方で小国はというと、漁船に毛が生えたような艀船で、舳先を激しく上下させながら下っていました。私は、「あの人たちは船酔いは大丈夫なんやろか?」、「まさか世界中の人達の目の前で転覆せんやろうな?」と心配しながら見ていました。こういった格差を見せつけられると、世の中の不条理を感じてしまいますよね。入場行進はやはり地に足をつけて行進して欲しいですね。それなら、何といっても御堂筋がピッタリですよね。御堂筋を威風堂々と行進する各国選手団、それを見守る大観衆、想像するだけで胸が熱くなります。昨年行われた、タイガースとバッファローズによる御堂筋パレードを思い出してしまいました。(※パラリンピックは、シャンゼリゼ通りで入場行進をする様ですね。とても楽しみです)

 パリが12のタブローならば、我が大阪では襖絵で勝負をしたいですね。仮想空間に信長もビックリの本丸御殿を建てて、その一部屋毎に、襖に日本の歴史や文化を描くというアイディアはいかがでしょうか。次々と襖を開けていくと、襖に描かれたテーマについて趣向を凝らした演出によるパフォーマンスが登場して来るのです。芸能界から演劇界、歌舞伎からお笑いまで、日本のエンタメ界を総動員したならば、パリに負けない壮大なセレモニーになること請け合いだと思うのですが・・・。「聖火は大阪城天守閣に点火して、そしてエンディングは通天閣特設ステージから北島サブちゃんに“まつり”を熱唱してもらったら・・・」なんてことを考えたらワクワクしてしまいますよね。「アホンダラ!大阪は一度大差で落選して世界に恥をさらしているやんけ!」「そんなこと出来るわけないやろ!このボケ!」「どこにそんな金があるんじゃ!このカス!」「パクリじゃねえか!このタコ!」などという罵声が外野から聞こえて来そうです。レストスタンドの人もライトスタンドの人も、そんなに怒らないでくださいよ。あくまで私の妄想です。こうしていろいろと考えていたら楽しいじゃあないですか。

 今回の五輪では、ほとんど全ての競技は既存の施設の利用、もしくは仮設の施設で行われました。特に、フェンシングが行われたグランパレや馬術が行われたベルサイユ宮殿の会場は、高く評価されていましたよね。私もこの様な考えには大賛成です。五輪開催のどさくさに紛れて、巨大な競技場を建ててしまおうという下衆な考えはもう古いと思うのです。五輪開催には細かい規定が設けられていて、収容人数が厳格に決められています。しかし、世の中はもう重厚長大の時代ではありませんよね。五輪会場も、もう少しダウンサイジングして、その分PVのスペースを増やすなどの工夫をすればよいのではないかと私は思っています(パリのチャンピオン・ステージは秀逸なアイディアでしたね)。

 大阪五輪開催を夢想するわたくしとしては、五輪会場についても対抗心を燃やして、勝手に妄想を膨らませています。競技会場は大阪市に留まることなく、関西が誇る名所や景勝地に協力を仰ぎたいですね。フェンシングはグランパレに対抗して中の島公会堂はいかがですか?馬術や近代五種競技は、パリがベルサイユ宮殿ならば、大阪は大阪城西の丸庭園でどうでしょう。アーチェリーは三十三間堂で出来ませんかね(ちょっと狭すぎますね)。野球はもちろん甲子園球場ですよね。パリではすこぶる評判が悪かったトライアスロンについても、関西には琵琶湖があります。ご存知の通り琵琶湖は近畿の水瓶なので、パリのドブ川なんかとは比べものにならないですよね。7人制ラグビーは、日本ラグビーの聖地、花園ラグビー場がありますし、サッカー決勝戦はパナソニック・スタジアム吹田でやってもらいましょう。スケートボードは万博記念公園で出来そうですね。スポーツ・クライミングは姫路城の石垣に特設コースを新設して・・・。夢の五輪会場構想は、果てしなく続いていきます。こうやって考えてみると、なんだか本当に関西でオリンピックが開けそうな気がしてきました。

 こうして無責任に妄想の世界に浸っていたら、とても幸せな気分だったのですが、現実に引き戻されると暗鬱な気持ちになってしまいます。今の日本の政治や行政、そして社会の雰囲気を考えると、このような遊び心を持った大きな催しは絶対に無理だと分かっているのです。ヨシムラ知事がこんな事を一言でも洩らしたら、「そんな金がどこにあるんじゃ!」という猛反発が、あらゆる方面から返ってくる事は必至ですよね。左のおばさんは、「弱者を切り捨てて、そんな無駄遣いは許しません!」と叫ぶでしょうし、右のおじさんも「IOCの商業主義は真っ平御免だ!」と拳を振り上げることでしょう。マスコミのみなさんは、考えられるあらゆるデメリットを次々と持ち出して、失敗したらどうするんだ!というネガティブキャンペーンを張るのでしょうね。東京五輪や現在進行中の関西万博の事を考えたら明白なのですが、この国のメディアの人達は一様に、この様なビッグ・プロジェクトに対しては夢を語る事よりもデメリットや懸念点ばかりを大きく取り上げて、足を引っ張る事ばかりを考えている様に私の目には映ります。失敗したらどうするんだという事ばかりを大きく取り上げて、どうやったら成功するのかという視点は敢えて無視している様に思われるのです。残念ながら、私が生きているうちに日本でオリンピックが開催されることはないでしょうね。日本は、いつのまにか夢がない“しょうもない国”になってしまいました。西新宿の親父の台詞じゃぁありませんが、「日本も今じゃ“くらげ”になっちまった」(🄫長渕剛)と笑うしかありませんね。

 東京五輪は、残念ながらコロナ・ウイルス蔓延の為、世界の人々との交流が著しく制限されていました。しかし今回のパリでは、試合会場や街中で、世界中から集まった人々がふれあう姿が戻って来ました。パリの街からは、信じられない様なフィジカルと素晴らしい技術を見せてくれた選手たちに対する尊敬の念、熱い戦いの場を共有したという連帯の心、勝者を讃えて敗者を思いやる気持ち、この様な幸せな空気を含んだオーラが、遠く離れた日本にも伝わって来ました。こうした世界の人達との一体感が、本来五輪が持っている力だと私は思うのです。そして、五輪には、このような世界を連帯させる力があると私は信じています。「お前は甘いんだよ」とおっしゃられる向きもいらっしゃると思います。世界に目をむけると、共感や連帯などという言葉とは無縁の、血も涙もないろくでなし為政者がせっせと人殺しに精を出しています。こいつらは、五輪の高貴な精神を理解する気持ちなどさらさらないのでしょうね。自分でもいくつになっても甘ったれの青二才だという事は分かっています。しかし、「そんな甘っちょろい考えでも、理想を思い描いている方が思考停止でいるより100倍ましだよな」と自分で自分を慰めているのです。

 スタッド・デ・フランス競技場で行われた閉会式では、選手のみなさんはとてもいい表情をしていましたよね。熱い戦いを終えたみなさんは、国の代表というプレッシャーから解放されて本当にいい笑顔をみせてくれていました。ここに集まった人達は、国を超えて五輪というかけがえのない時間と空間を過ごしてきた仲間だという思いを共有しているのでしょうね。素晴らしい戦いをみせてくれたアスリートのみなさん、とりあえずはゆっくりと体を休めて下さいね。みなさんは、その存在だけで、スポーツマンシップや連帯、そして世界への感謝の気持ちを伝えてくれる、私達の宝物なのですから。

Joy To The World:世界が一つになれる時間と場所。勝っても負けても、同じ空間を共に過ごす事が出来るのが、私達の喜びの世界。

Joy To The Worldは、Three Dog Nightが1970年にリリースしたアルバム、“Naturally”の10曲目に収録されている曲です。数々のCMやドラマの主題歌として使われていて、今でも大変人気がある曲なので、皆さん何度も聞いた事があると思います。1995年のアカデミー賞で各賞を総なめにした不朽の名作、「フォレスト・ガンプ」でも重要なシーンの挿入歌として使用されていましたね。トム・ハンクス演じる主人公は、知的障害というハンディを持ちながら、清らかで純粋な心で真っすぐに時代を駆け抜けていきます。この曲は、フォレスト青年が卓球の全米代表となって、中国との親善試合をするというシーンで使われていました。この映画は、世界中に喜びをというこの曲のLyricのメッセージがぴったりな、心が洗われて綺麗になる、素晴らしい作品でしたよね。この曲も、印象的なキーボードのイントロと素敵なメロディーで、聞いていると何だか元気になる名曲ですよね。ボーカルのダニー・ハットンは、Bullfrog(ヒキガエル:へべれけの酔っ払い)の友達や、世界中の男の子・女の子、そして深海の魚とも喜びを分かち合いたいと歌っています。そして自分は、虹の上に乗っている様な、理想高い生活を送る真っ正直な人間で、世界中から障害や戦争をなくすんだと熱唱しています。そんなこの曲のLyricは、真っすぐな心をもったフォレスト・ガンプや自分の理想と目標を追い求めて、日々努力を怠らないオリンピアンの人達にぴったりだと思いながら、今日もポテチの袋を開けて、TVを見ながらパクついてしまう怠惰な私なのでした。

このような駄文を最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

皆様にとって明日が今日より良い日になりますように。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です