雪ん子たちの大運動会 -Don’t Stop Believin’-

 2月の古い呼び名は如月ですよね。この言葉の語源は衣更着という言葉から来ていて、「まだまだ寒い日が続くので、衣服を更に重ね着をしないといけないね」という事が由来になっているそうです。もちろん旧暦の呼び名なので、現在の暦では3月の季節に向けた言葉になるのですが、衣更着という言葉の響きからは、暖かい春を待ち焦がれる気持ちが感じられて、今の季節感でも違和感はありませんよね。今年の如月は、特別な2月でしたね。4年の時を経て、再び私たちの元に冬季オリンピックが帰って来てくれました。冬季五輪は、前々回は平昌、前回は北京と2大会連続でアジアでの開催でしたが、今回はノルディックとアルペンの本場ヨーロッパに20年ぶりに戻ってくる事になりましたね。開催国イタリアについて私の頭に浮かんでくるのは、地中海とアドリア海に挟まれて温暖な気候に恵まれた陽気なラテン気質の国というイメージですね。そして、海の幸‣山の幸にオリーブオイルとチーズ、そしてバジルなどのハーブをこれでもかとばかりに使った、カロリー過多だけれどとても美味しいイタリア料理の国という、バカ丸出しでステレオタイプの印象でした。ところがこの長靴型をした国は、北はアルプス山脈に面していて、名高いスノーリゾートが点在しているウインタースポーツが大変盛んなお国柄なのだそうですね。アルプス山脈の東側一帯は、ドロミーティ(あるいはドロミテ)と呼ばれる風光明媚な山岳地域で、世界遺産にも登録されている世界有数の山岳リゾートなのだそうです。今回のオリンピックでは、スキーやスノー‣ボードなどの屋外競技は主にこのドロミーティ周辺に点在するリゾート地で行われて、開会式とスケート競技についてはミラノで行われていましたね。

 ドロミーティにあるリゾートのなかでも、コルティナ‣ダンベッツオはとても人気がある美しい街で、ドロミーティの女王と呼ばれているそうですね。今回この街では、女子のアルペンスキー種目と、ボブスレーなどのそり種目、そしてカーリングが行われていました。中でも女子滑降は、素晴らしいコースで行われていましたね。スタート直後から岩山の間を縫うように作られた急斜面が待ち構えていて、選手はドロミーティの美しい山々を正面に見ながら時速150kgという信じられない様なスピードで飛ぶ様に滑り降りていきました。このコースを例えるなら、まるで天使がそこにいる様な神々しさの背後に危険な牙を隠し持った魔物が隠れているという感じで、私が今まで見た中で最も美しいダウンヒルコースでしたね。そしてカーリングの会場は、1955年にこの地で行われた、コルティナオリンピックの際にスケート競技の会場として用いられたオリンピックスタジアムを改修して、屋内アリーナとして再利用されています。その他の会場でも、今回の五輪では大部分の施設が再利用、あるいは仮設で整備されていて、新たに建設された施設は、ミラノのアイススケート‣アリーナだけなのだそうです。こうした取り組みは、コストを抑えるとともに、環境に対する負荷を軽減する取り組みとして注目されていましたね。又今回から、1都市単独開催という建付けであったオリンピック開催規定が改訂されて、複数都市の開催が可能になって、ミラノとコルティナ‣ダンベッツオ、リビーエラなど8つの地域で競技が行われていましたね。そのお陰で、開催都市が抱え込むことになる過度な負担が分散されるであろうという点でも話題を集めていた五輪でしたよね。

 ミラノ‣コルティナオリンピックの開会式は、メイン会場となっているミラノのサンシーロスタジアムとともに、コルティナダンベッツオ、ボルミオ、プレダッツィオの4会場でも行われました。これまた初めての試みで、移動による選手たちの負担が軽減される取り組みとして好意的に報じられていましたね。私は、五輪の開会式が大好きで、オリンピックが開催される度に毎回TVにかじりついています。傍から見ている家族からは冷ややかな目を向けられていて、「まったくもってお目出たいオヤジだよ」と、いつもからかわれています。そんな私にとって、文化芸術の都にしてモードとファッションの本場であるミラノで行われる開会式は、どんな出し物が供されるのだろうかという期待が膨らんで、いやが上でも気分は盛り上がってしまっていました。開会式のテーマは「アルモニア:調和・響きあい」と題されていました。セレモニーは、期待に違わず素晴らしい出来栄えでしたね。感想を一言で言い表すのは難しいのですが、無理を承知であえて言わせてもらうと、壮大なイタリアお国自慢という事になりますか。彫が深くて濃ゆーいイタリア顔のオジさんやおネエちゃんが、「どうだい?俺たちのイタリアはスゲーだろう!」、「私たちの素晴らしいイタリアをもっと知ってちょうだい!」とグイグイ迫ってくる、そんな感じですね。次々と登場してくるアトラクションは、「ワシらの国は、ルネッサンスとバロックの本家本元なんやで。なめたらあきまへんでえ!」、「音符を発明したのはイタリア人だし、歌劇(オペラ)だってウチらの国が本家本元なのよ!」、「ファッションもクールで恰好いいだろう?流行は俺たちがつくってきたんだぜい!」という自負と誇りが散りばめられていて、それが時に陽気に、時にシリアスに表現されていて、私にはとても楽しめましたね。

 IOC会長のカースティ‣コベントリーさんのスピーチも、とても良かったですね。通常この様な式典でのお偉いさんによるスピーチは、無駄に長くて退屈な、つまらない儀式に過ぎないのですが、コベントリーさんのスピーチは格調高く沢山の気付きを与えてくれる素晴らしい内容でしたね。彼女はスピーチで、選手たちに対する尊敬と感謝の気持ちを、平易な言葉で率直に話してくれましたね。アスリート達が毎日とてつもない努力を続けている事。それが決して平坦な道ではなく、躓きや失敗で挫けてしまう時もある事。それでも、夢を追いかけて挫折から立ち直ることで、人間とは何であるかということを私達に教えてくれるであろう事。これこそがオリンピックの魔法なのだという事を語りかけてくれました。そしてコベントリーさんは、彼女のルーツであるアフリカのウブントゥ(Ubuntu)を引用して、私達がここにいるのは、それはみんながここにいるから(I am, because we are)という言葉を語ってくれました。この言葉には、「私たちは、一人で生きていく事はできないんだよ。みんながいるから生きていられるんだ。だからみんなと一緒に自分がどう生きるのか、みんなの為に自分が何ができるのか、それ胸に刻んで生きていく事が大切なんだよ」という彼女の思いが込められていました。そしてそれはシンプルですが、私達が決して忘れてはならない重要なメッセージですよね。こんな当たり前の事をしばしば私たちは忘れてしまって、時に独りよがりの考えに陥ってしまったり、自分勝手な行動を取ってしまったりしてしまいます。国家を動かしているリーダーにもそんな人間がいますよね。狂った土佐犬プの字やチンカス関税野郎には、「お前らちゃんと正座して聞いておけよ!」と言ってやりたいですね。彼女は、昨年6月に前会長のバッハさんから会長職を引き継いで、IOC史上最年少にして、史上初の女性会長となりました。前会長は、ぼったくり男爵と揶揄される様な大変評判が悪い人物で、金満体質と権威主義のオーラを全身にまとった鼻持ちならないクソジジイでした。それはIOC全体のイメージにもリンクして、世間の五輪に対する負のイメージを増幅していましたよね。今回、コベントリーさんは、選手たちに寄り添う姿勢を明確にしてくれて、彼らを通じて人間であることの意味を、それは、夢を持ち続ける事、困難や失敗も乗り超えられる事、お互いを尊重して思いやる事、それがいかに大事かについて熱く語ってくれました。彼女のスピーチからは、単なるセレモニーではなく、本気でIOC、そして五輪の在り方を変えていくんだという決意が感じられましたね。

 各国選手団の入場行進は、五輪が開催される度に私が楽しみにしているプログラムです。世界各国の選手たちがどんな様子で入場してくるのか、私はとても楽しみにしていて、目を皿のようにしてTVを注視していましたね。特に開会式の際に着用される公式ユニフォームは、私の重点チェックポイントの一つで、選手の皆さんには誠に失礼なのですが勝手に各国ユニフォームの品定めをしていました。公式ユニフォームのパターンは、大体次の様なパターンに分類できるのではないでしょうか。パターン1は国旗の色、或いはナショナルカラーをベースにしたタイプですね。アルゼンチンは、国際大会ではいつでも国旗の鮮やかなスカイブルーを身にまとって登場してきますよね。オーストラリアも同様で、ナショナルカラーである緑と黄色が必ず用いられていますね。この様なこだわりからは、自国に対する誇りが感じられて、とても好ましく感じてしまいます。パターン2としては、ユニフォーム本体は国旗やナショナルカラーとは関係ない配色で、帽子やマフラーなどのサイドアイテムに国旗やナショナルカラーがあしらわれているタイプです。アルメリアやエクアドルは黒の単色のダウンコートで堅実にまとめていて、シックで素敵でしたね。パターン3としては、その国の民族衣装や文化をモチーフにしたタイプです。こちらは少数派ですが、それだけにとても目立っていましたよね。サウジアラビアは、毎度お馴染みトーブ(白い布で全身を覆う民族衣装ですね)の姿で登場して、悠々と歩いていましたよね。マイペースなお国柄が感じられて、微笑ましい光景でしたね。パターン4としては上記3パターンの融合タイプで、このタイプが最も多かった様な気がします。例えばカナダは、エビ茶色のアウターの上から、国旗のメープルリーフをキルティングした“ちゃんちゃんこ”の様なマントを羽織った装いで、それはもう楽しそうに行進していましたよね。華やかで笑顔に溢れた行進からは、とても洗練された印象を与えてもらいました。

 以上4パターンのユニフォームについて、私は誠に失礼な行為だと知りつつも、勝手に批評をさせてもらいました。以下に結果について開陳しますね。パターンAの中で、最も恰好が良かったのはドイツでしたね。黒地に赤と黄色の線で幾何学模様が描かれたポンチョスタイルで、斬新な姿が大柄なドイツの選手にとても似合っていて、「おおアディダス、そうきなすったか!」と思いましたね。パターンBでは、アメリカが素敵でしたね。国旗の柄が描かれた白いセーターの上に、白いダッフルコートに白のパンツという、白でまとめられたコーディネートで、流石にラルフローレン製というだけあって、とてもおしゃれな装いでした。彼らが着ていたダッフルコートは、私も欲しくなってしまいました。パターンCではモンゴルを押したいですね。遊牧民の衣装として知られているデールでまとめられたとてもユニークなユニフォームで現れた時は、国名の紹介がなくても一目でモンゴル選手団とわかりました。独特な帽子をかぶった姿からは、モンゴルの人達が母国に対して抱いている愛着が溢れていて、とても可愛らしいユニフォームでしたね。パターンDは、とても悩んだのですがメキシコにしました。彼らが着ていたアウターは、ぱっと見ではただの白いダウンパーカーにみえたのですが、その胸には鮮やかな原色の模様が、「ワシらはメキシコなんやで!」と主張していましたね。この模様は、メキシコの先住民の人たちに伝えられてきた、花刺繍やウィビルの織物を表現したものだと思われます。この国が歩んできた激動の歴史や、滅んでしまった文明への憧憬、そんなメキシコの人達が持っている国の歴史に対する様々な思いが込められたアウターでしたね。

 我が日本はどうであったかと言うと、良くも悪くもいたって普通で、品行方正な優等生でしたね。日本の選手が着用していたユニフォームは、ジャパンレッドと言われている朱色の生地に流水をイメージした模様がアクセントになっている、色鮮やかで洗練されたデザインでしたね。流石にナショナルブランドのアシックス製だけあって、とても良く考えられた意匠で、着心地もおそらく抜群にいいのだろうと推察されます。しかし残念ながら、突出してアピールする様な冒険心は感じられませんでしたね。それはそれで、如何にも日本らしくて結構な事なのですが、折角世界中から注目される晴れ舞台なので、これぞ日本という心意気を示して欲しかったですね。そんな事をぼんやりと考えていたら、よからぬ考えがむくむくと湧きあがって来てしまいました。北京オリンピックの時には、サモワの旗手の人が、上半身裸に腰蓑という冬季五輪にはおよそ不釣り合いな破れかぶれの装束で堂々と行進していて、大きな話題となりましたよね。私はその姿を思い出して、今回は、日本の旗手が、大相撲土俵入りの姿で登場したら、どうなるんだろうと妄想してしまったのです。「きっとメガトン級のインパクトを世界に与えるに違いないぞ」なんて考えて、一人で盛り上がってしまいました。そして、ジャパンレッドの化粧まわしをキリリと締めこんで、「よいしょ!」という掛け声とともに雲竜型の四股をふんでいる姿が頭の中に浮かんできて、一人でニヤニヤしてしまいました。しかし、真冬のスタジアムを半裸のふんどし姿で行進などさせて、これから本番を控えている選手が風邪でもひいた日には大事件になってしまうのは確実ですよね。マスコミは大喜びで騒ぎ立てるでしょうし、ネットの炎上も必至ですよね。頭に中にハリさんが登場して、「貴様は私たちの大事なアスリートになんてことを考えとるんだ!けしからんぞ!喝だあ!」と頭から湯気をだして怒っています。まったくもっておっしゃる通りですよね。自分でも「脳みそにウジが湧いとるんちゃうか?」と思っています。私はお酒をやめた方がいいのかもしれませんね。

 後日、日本の選手たちが入場行進の際に行った振る舞いが、現地での称賛を集めているというニュースが報じられました。選手の皆さんは、日本の国旗に加えてイタリア国旗の小旗を振りながら行進していましたよね。このような開催国へのリスペクトと心配りをきちんとできる選手の人達に、私も誇らしい気持ちになりましたね。と同時に私はよからぬ妄想をしてしまった不真面目な自分を恥じてしまいましたね。日本の選手たちは、奇をてらった演出で観客に驚きを与えようとする必要など全くなくて、普段通りの振る舞いで世界に感動をもたらす事ができる、そんな素晴らしい集団で、世界からもそんな姿をきちんと認めてくれている、日本はそんな国になったのだなあという感慨がありますね。無礼な言い草の数々については、謹んでお詫びを申し上げたいと思います。ジャパンレッドのユニフォームは雪面や氷の白にとてもよく映える、素敵なユニフォームでしたよね。今回の五輪では、日本の選手たちは素晴らしい活躍をしてくれて、いろいろな競技の表彰台の上では、鮮やかなジャパンレッドが、まるで昇っていく朝日の様に輝いていましたよね。

 選手たちが躍動してくれた19日間はあっという間に過ぎてしまって、お祭りはいったんブレークタイムを迎えました。ベローナの円形競技場で行われた閉会式は、またしてもイタリアンテイストが満載で、おなかが一杯になってしまいましたね。今回の五輪では、様々な新しい試みがなされていて、五輪の今後についていろいろと考えさせる大会となりました。冬の五輪は、様々な理由から今後の開催については解決をしなければならない課題が山積みになっています。気候変動の影響は最も深刻な問題としてとらえられていて、今回の大会でも、雪不足の影響から多くのコースが人工雪を用いて作られたと聞いています。このままのペースで温暖化が進んだなら、最悪のシナリオでは開催できる都市が2080年代までには30カ所程度まで減ってしまうという研究結果も示されています。オリンピックと政治の関係についても、相変わらず腑に落ちない話ばかりが伝えられていますね。ウクライナの選手が、戦争で亡くなったアスリートの姿がデザインされたヘルメットの着用を求めて、それが認められず失格になってしまった件については大きく報道されていたので、みなさんもご存じの事と思います。この他にも、五輪開催に必要な多大な費用負担の問題や環境への負荷など、多くのネガティブな問題が五輪にはついて回っています。そんな訳で、五輪に反対している人達が世の中にはたくさん存在していて、様々な方法でネガティブキャンペーンを行っている様ですね。その人達がおっしゃっている事には、傾聴すべき意見が沢山あると私は思っています。それでも私は、五輪がなんとか続いていって欲しいと願っているのです。世界を見まわすと、国家‣民族‣宗教など、本来人間が頼っているものが原因で生じた愚かな分断が、不幸の連鎖を生み出しています。そんな負の連鎖の中で何の意味もない争いが続けられていて、連鎖が戦争にまで至っている場所もあります。そんな不幸の連鎖を止める力をオリンピックは持っていると、私は信じたいですね。五輪のステージで、素晴らしい姿を私たちの前で繰り広げてくれるアスリートの姿を見ていると、そう信じたくなるのです。コベントリーさんがおっしゃった通り、アスリートを通して、彼らの夢や、そしてそれを実現する為に行ってきた努力、挫折や困難に立ち向かってそれを克服してきた姿、そんな彼らを感じる事で、私たちは正しく生きていく為の勇気を持つことができると思うのです。そしてライバルと死力を尽くして闘って、結果が出た後には、勝者も敗者もお互いを讃えあって、リスペクトする姿を目の当たりにする事で、人間である事の意味や尊さを感じる事が出来ると思うのです。

 今回のオリンピックでは、聖火はミラノとコルティナ‣ダンペッツオの2カ所に設置されていました。ダヴィンチ‣ノットと呼ばれている幾何学模様のリングの中で灯されていた聖火の炎はいったん消えてしまいましたが、3月の声を聞くとすぐに、パラリンピックがスタートして、再び雪ん子たちの運動会が始まります。パラリンピックのアスリートたちは、一体どんなパフォーマンスを見せてくれるのでしょうか。私はワクワクしながら、「8時間の時差で狂ってしまった体内時計は当分このままだから、もっとシャンとしないとね」と独り言を言って、インドネシア産のコーヒー豆をミルで挽きながら、今日のおやつは御座候の回転焼きにしようと心に決めていたのでした。

Don’t Stop Believin’:夢をあきらめず、挫折から逃げずに前に向かっていくアスリートの姿に目頭が熱くなってしまって…。

Don’t Stop Believin’は、Journeyが1981年にリリースしたアルバム”Escape”に収録されています。今から40年以上前に世に出た曲ですが、今でも多くの人から支持されている彼らの代表曲で、多くの媒体で使用されているのでみなさんもきっと一度は耳にした事があると思います。この曲のLyricは、若者たちが夢を追いかけて夜行列車に乗り込むシーンからスタートしています。田舎町の女の子や都会育ちの男の子、ナイトクラブで歌っている歌い手、そんな若者たちは、作詞を手掛けたジョナサン‣ケインやスティーブ‣ペリーの若かりし頃の姿そのものを表しているそうですね。「信じる事を止めちゃいけないよ」というタイトルは、ジョナサン‣ケリーが売れないミュージシャンだったころ、夢をあきらめて故郷に帰ろうとした時に、父親からかけられた言葉なのだそうです。そんな情景を思うと、今回素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた多くのアスリート、そしてこれから素晴らしい活躍を見せてくれるであろうパラアスリートのみなさんの姿が脳裏に浮かんでしまいました。アスリートのみなさんには、これまでに私達が知っているエピソードの他にも、数多くの困難や障害があった事と思います。それを乗り越えてこられたのは、きっとこの言葉を今まで何度も頭の中に思い浮かべていたからなのでしょうね。この曲は冒頭で、ジョナサン‣ケインが奏でる情緒あふれるピアノが流れてきて、そこにスティーブ‣ペリーの透き通った歌声が重なりながらスタートします。そしてそこに少しずつ被さってくるニール‣ショーンのギターは、夜汽車が遠くから近づいて来る車輪の音と汽笛をイメージしているそうです。このイントロが流れてくると、私は様々な夢を抱いていた10代の頃の自分を思い出してしまいます。そして、東北本線の夜行急行の窓際で、真っ暗で何も見えない窓の外をぼんやりと眺めていたあの頃の自分は一体何を考えていたのだろうか、その頃の自分はどんな夢をいだいていたのだろうか、そんな事をぼんやりと考えてしまいます。そんな事を追想していると鼻の奥がツンとしてしまって、盛大なくしゃみをしてしまいました。私と同じように、多くの人は夢を持ちながらも、それを人生の節目ごとに立ち止まってしまった場所に置き去りにしていきながら、それでも自分の思いに折り合いをつけて生きているのだと思います。そんな中途半端で妥協をしてばかりの私にとって、自分を信じて、夢を追いかけるのを止めなかったアスリートのみなさんは、私の代わりに大きな希望を実現してくれているアイコンだと勝手に思っているのです。

このような駄文を最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

みなさんにとって明日が今日よりいい日になりますように。

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