忍び寄る足音の正体-Used To Bad News-

 永田町には、自民党危機16年周期説という都市伝説があるそうです。それはなんぞや?と申しますと、読んで字の如し、16年周期で自民党に壊滅的な危機が訪れるというジンクスなのだそうです。そのジンクスは1969年から始まりました。いわゆる60年安保による騒ぎを収拾させる為、当時の首相であった岸信介総理が退陣をした時が起点になっている様です。そしてそれから政治の世界を経時的に見てみると、確かに、ロッキード事件、細川連立政権誕生、民主党政権誕生というインパクトがある出来事が16年ごとに起きています。奇しくも本年は、民主党政権への政権交代からちょうど16年目にあたっています。そして、先日行われた参議院選挙の結果、再び自民党に危機が訪れています。

 今回の選挙で自民党が大きく議席を減らす事は、事前から予想されていましたよね。昨年誕生したゲル大佐による内閣は、発足当初から人気がない政権で、昨年行われた衆院議員選挙においても与党は過半数割れという大失態をやらかしていましたね。今回の目標についても、改選前議席66に対して目標は50議席で、改選非改選併せてなんとか過半数を確保するという驚くほど弱気な目標設定でした。私は思わず、「おい!お前らやる気あるんか?こんな数字じゃあ、最初から負けですわと言っているのと一緒じゃねえか!」と突っ込んでしまいましたね。案の定、結果は推して知るべしで、こんな低レベルな目標すら達成できず、与党合わせて47議席という歴史的な大敗となってしまいましたよね。与党の敗因については様々な事が言われています。経済対策、特に物価高への対策や年金制度改革、少子高齢化が進む中での家族・子育て支援など、個別のissueで与党の主張が理解を得られなかったという点は確かにあると思います。しかし何よりも今回の選挙では、自民・公明両党によるこれまでの政治に対して、多くの有権者がNoを突き付けた結果であるという事が評論家のみなさんから解説されていますよね。

 今回の選挙で、大きく議席を伸ばしたのは、国民民主党と参政党でしたね。この2党については、与党が失った票の受け皿になっただけでなく、今回初めて選挙に投票をしたニュー‣カマーの票を大きく獲得した事が各種調査によって明らかになっています。私の個人的感想を申しますと、国民民主党の躍進については、「そうだよね」と合点がいきます。彼らの主張である「現役世代の所得アップ」、そして具体的に訴えている「所得税控除106万円の壁の打破」、「ガソリン暫定税率の廃止」が多くの有権者からの賛同を得ている事は選挙前から明らかになっていました。加えて、彼らが政界で積み上げてきた経験と実績は、投票に際しての安心感につながっていると思います。腑に落ちないのは参政党の躍進です。私は、参政党がこれほど多くの票を獲得するとは思いもよりませんでした。参政党は、考え方の基盤は保守で、それもどうやら大きく右側に寄った立場である様です。彼らが結党以来掲げてきた政策やスローガンを振り返ってみると、コロナ‣ワクチン陰謀論やオーガニック食品への信望といった異様な主張が際立っています。「極右で陰謀論者、こんな怪しげな連中が主張する事なんて、どこのどいつが信用するんや!」という色眼鏡で、私はこの人たちの事を見ていました。なので、ごく一部の偏った考え方をする層の支持者を獲得することはできても、幅広く支持を集めることはできないだろうと思っていたのです。ところが、今回彼らは、従来唱えていた陰謀論を後ろに引っ込めて、「日本人ファースト」という耳触りが良いスローガンを全面に押し出してきました。擁立した候補者についても、知的で好感度が高そうな人物をずらりとそろえて、特に大都市圏にはとても感じがいい女性候補を押し立ててきましたよね。それは、彼らが本気で政治に取り組んでいるという証左であるという見方もできますが、私には、そういった彼らのスタンスが、ポピュリズムとオポチュニズムの極致に見えて、なんだか薄気味悪くなってしまったのです。

 参政党が掲げた「日本人ファースト」というスローガンについて、当初、この短いフレーズに込められている意味が何なのか、私にはよくわかりませんでした。どうやらこのスローガンには、現在日本が向き合っている海外との、あるいは外国人との関係に対する一種のアンチテーゼが含まれている様です。そしてそこには、外国人による不動産取引から、教育‣留学、犯罪、海外から日本に働きに来ている技能実習生の問題に至るまで、幅広い内容が含まれている様です。彼らはそれを「日本人ファースト」、「反グローバリズム」という短いフレーズで煽りに煽っていたようですね。確かに外国人問題は検討すべきテーマなのかもしれませんが、私にとっては、今回の選挙での優先順位としてはそれ程重いものだとは思っていませんでした。なので、選挙戦の中盤から参政党の支持率アップが報じられるにつれて、マスコミがこぞって物価高対策、経済政策に次ぐ重要なテーマとして外国人問題を取り上げていた事に、違和感を持っていました。

 日本人ファーストという短いフレーズは、マジックワードであると解説している識者の方がいらっしゃいます。確かにこの言葉は、扱い方によってはどの様にも使う事ができる魔法の言葉ですよね。彼らは演説で、外国人に対する政府の対応を批判しながら(暗に敵認定する形で)、外国人の為に政策を行う前に、まず初めに私たちの暮らしのための政策をするんだという文脈でこの言葉を使っていましたよね。確かにこのフレーズには、現状に不満を持っている層の人達を引き付ける強い磁力があったようですね。しかし、その主張の背後には、自分たちの生活が良くならないのは、外国人のせいであるという事を暗に仄めかして責任転嫁をしながら、日本人が(つまり自分だけが)良ければいいんだという排他的で自己中心的な考えが見え隠れしている様に、私には感じられました。彼らは、そのような見方は偏見で曲解だと否定すると思います。しかし一例をあげると、彼らは、留学生の待遇や技能実習生の受け入れで補助金が無駄に使われている等々、真偽があやふやな事例を持ち出して「そんな金があるなら日本人の為に使え!」と煽っていました。こうしたフェイクに準ずる様な言説については、彼らは後日訂正や謝罪はしていたのですが、こうして一度流布された悪意を含んだ言説は、人々の心に怒りの感情を染み込ませながら社会を蝕んでいく、遅効性の毒薬の様な負の作用を及ぼすものだと私は思っています。曖昧で且つ感情的な表現で、聞く側に負の感情を呼び起こすように誘導しながら、現状に対する不満を外国人に差し向けて、自分たちの言説を正当化していく彼らのやり方が、(極論であるのはわかっていますが)私にはある種の洗脳の様に感じてしまいます。

 参政党が今回の選挙で躍進した要因については、SNSの効果的な活用という事を多くのコメンテーターが語っています。確かに彼らは、ショート動画やティック‣トックで、「日本人ファースト」というマジックワードを駆使しながら短いフレーズで効果的に自分たちの主張を訴えていましたね。参政党の党首の人(特に名は秘す)が熱く訴えていた主張は、多くの人達の心に響いていたようです。多くの有権者がTVのインタビューやXで、彼の演説はわかりやすくて心に響いたと言っていましたね。どうやらこのヒトは、アジテーター(扇動者)としては、才能豊かでとても優秀な人物であるようです。しかし、このヒトの発言の内容を注意深く精査すると、そこには論理のすり替えと誇張表現が満ち満ちています。このヒトは、インタビューや討論の際に矛盾する点を指摘されても、文脈を巧みにそらしながらに上手に話をすり替えていましたね。実は私は、そのような誤魔化しには目ざといのです。私は、現役会社員の時に「なんでや人間」が上司にいて、うまくいかない仕事の言い訳やサボっていた事を無理やり正当化しようとした時に、「それは何でや?」という無限のループで散々理詰めで追及されて鍛えられていたので、逆に論理のすり替えや言い逃れで誤魔化そうとしている事はすぐにわかってしまうのです。私は、TVで彼のインタビューを聞きながら、「質問者が”なんでや上司”だったらこのヒトはどう答えるんだろう?」と思いながら、「もっと鋭くつっこまんかいな‼」とTVに向かって文句を垂れていましたね。

 私ごときがいくら文句を垂れ流しても、今回参政党が大きな支持を得た事は紛れもない事実です。比例の得票数は、自民党、国民民主党に次いで3位で、しかも2位との差はごく僅かでした。年代別の支持率について各種調査の結果を見てみると、40代30代は最も支持を集めていて、20代の若年層と50代の高年齢層も第2位となっています。私はこの結果を目にして、日本の将来がかなり心配になりましたね。彼らは、外国人の在留資格について、日本の文化や生活習慣に対して一定以上の理解がある人間に制限するべきという主張をしています。そこには、他国の人が持っている文化や価値観に対するリスペクトを感じることはできません。安全保障については、日米同盟は重視すると前置きをしながらも、米国に頼ることなく、核武装をして日本の事は日本で守るのだと主張しています。私は、こんな形でナショナリズムを煽っている連中に大きな支持と共感が集まっている事がとても不安なのです。

 現在の日本が、世界との関係を抜きに存続していく事が出来ないのはサルでも(つまり私でも)わかります。鎖国をしていた江戸時代とは事情が違うのです。言うまでもなく日本の産業は貿易を抜きには考えられませんよね。輸出による財の獲得はもちろんですが、国内に目を向けると、エネルギーも食料も工業材料も輸入に頼っています。農業や介護、建設業など、社会にとって不可欠だけれど低賃金で人気がない職業については、今や海外からの技能実習生抜きには立ちいかなくなっていますよね。好むと好まざるに関わらず、この国は、世界に向けて大きく扉を開いて世界中の人達とよりよい関係を築いていかないと前に進まない様になっていると私は思っています。技能実習制度や海外資本による不動産取引などには、制度的な不備があって改善しなければならない点が沢山あるのでしょう。在留外国人による犯罪やインバウンド外国人による迷惑行為については当局に厳正な対処をして欲しいと思っています。しかし、参政党が訴えているような、自分たちにとって都合がいい外国人以外は、様々な制限をかけて入国を抑制する、更には排除じていくという考え方は、明らかに間違っていると思いますね。彼らが主張している、在留を希望する外国人は、高度な技術や専門知識を持つ人材を優先するといったご都合主義的的な政策や、入国に際してN1レベルの日本語能力(日本人でも合格できない人が多数いるレベルです)を要求すると共に、加えて日本への忠誠心を強要するという厳しい制限を課して、彼らのルーツや文化‣価値観を軽視するようなやり方は、私には、ナチスドイツが声高に唱えていた”アーリア人優性思想”に通じる考え方が感じられて、懸念どころか背中に“ぞわり”とサブいぼ(鳥肌)が立ってしまいましたね。

 参政党の様な右派ポピュリズム政党は、現在世界中で勢力を伸ばしていますよね。フランスのルペン党首が率いる国民連合は、昨年行われた欧州議会選挙で大勝して、その勢いのままフランス議会選挙でも議席数を伸ばして、国内での影響力は侮れないものになっています。ドイツにおいても、本年行われた総選挙で、極右政党と言われている「ドイツのための選択肢」が議席を倍増して、中道の「キリスト教社会民主同盟」に次ぐ第二党に躍り出ています。私は、「この様に、他国からの移民や異なるルーツを持つ人たちを敵視する政党の支持が増えているのは、一体何故なのだろう」と考えこんでしまいました。おそらく誰もが、自分とは異なる部分を持つ人や異なる考え方・文化‣価値観を持っている人に対して、警戒や拒否をしてしまう心を持っているのでしょうね。私も偉そうな事をぬかしていますが、そういった部分がある事は自覚しています。それは人間だけでなく生物全般にみられる本能のようなものなのかもしれません。しかし私たち人間は、今までもお互いににコミュニケーションを持ち続けて、異なる部分、価値観や考え方について理解するように努力をしながらより良い関係を築いてきたのだと私は思っています。

 今回のこの駄文では、参政党について私自身が持っている違和感や疑問点から、嫌事ばかりを散々書き散らかしてしまいました。彼らを支持している人やその考え方に共感している人は、きっとおもしろくない事でしょうね。「何を偉そうな事を言ってやがる、この偽善者野郎!」、「お前は何もわかっちゃいないんだよ!世界はそんな綺麗ごとだけで渡っていけるような甘いところじゃないんだよ!」といった罵声が心の中に響いてきます。実のところ私は、参政党が得ている民意と自分の考えとのズレについて、私の考えが間違っていればいいのにと願っています。そして私が、先入観で凝り固まった曇った目でしか彼らの事を見ていなかったのだと信じたい気持ちを持っています。そう思う程今回の選挙で彼らが大きな支持を得たという事に、衝撃を受けているのです。私は、TVで偉そうに“ア~だ、コ~だ”としゃべり散らかしている芸人コメンテーターを眺めながら、「なんでこんな事になっちまったのかねえ」とため息をついて、「それでも思考停止で成り行きに任せているよりも、あれやこれやと考えて思い悩んでいるほうが100倍ましだよね」とつぶやきながら、二つ目の豆大福に手を伸ばしてしまったのでした。

Used To Bad News:悪いニュースには慣れっこだけど、その先が見いだせない事に焦りと不安を感じながら…。

Used To Bad Newsは、アメリカのロックバンドBostonが1978年に発表した2枚目のアルバム、”Don't Look Back”に収録されている曲です。Bostonは、MIT(マサチューセッツ工科大学)出身の鬼才トム‣シュルツを中心に結成されたグループで、その洗練されたサウンドと親しみやすいメロディーで、当時の若者に大変人気がありました。このアルバムは、ノー・コンピューター、ノー・シンセサイザーとクレジットされていて、一つ一つの音源をトム‣シェルツが、自ら何度もオーバーダビングして、録音を積み重ねて作り上げた100%手作りの労作だという高い評価が与えられています。アルバムが作られて47年経過した今聞いても、洗練された上質なサウンドと、色あせない新しさで、信じられないような完成度のアルバムで、私のお気に入りの1枚です。この曲のLyricでは、とても良くない出来事を聞かされた歌い手が、悪いニュースを聞くのは慣れっこなんだよと強がっている様子が歌われています。そんな歌い手の様子が、今現在、社会に広がりつつある雰囲気についていけない自分に重なってしまいました。私が大好きな小説家の司馬遼太郎さんは、晩年書き残したエッセイの中で、繰り返し、行き過ぎたナショナリスムについて危険視する記述を書き残しています。特に近代日本のナショナリズムについて、隣国などの他者を貶めて優越感を感じる「歪んだ大衆エネルギーを含んでいる」と警鐘をされている点について、今の社会の雰囲気との類似が感じられて、考え込んでしまいました。現在再び、そんな意識の広がりがもしかしたら社会を蔓延しつつあるのかもしれないと思うと、表現しがたい焦燥感が胸に沸き起こってしまうのです。世界を見渡しても、アメリカやロシア、そしてイスラエルなど、自分たちの国の事しか考えない連中がやりたい放題好き放題で、この世界が弱肉強食の嫌な場所になってしまっている様に感じてしまいます。更にはフランス、ドイツ、そして日本までがそうなってしまうかもしれないという事に、私は大変な危機感を持っています。私の心配が杞憂であればいいのですが。司馬さんがご存命なら、こんな有様に対してどのような事をおっしゃられていたのでしょうか。

このような駄文を最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

みなさんにとって明日が今日よりいい日になりますように。

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