沈黙で返された答え-The Sound Of Silence-

 バチカン市国は、ローマ市内にある世界最小の主権国家であり、ローマカトリック教会の総本山だと、大昔社会の時間に習ったような気がします。本年5月に、この小さな国で行われたコンクラーベというなんだか変テコリンな名前の儀式が、世界中の注目を集めていましたね。散々マスコミで報じられていたので、この儀式が何モノなのかについてはみなさんご承知の事と存じます。今回のコンクラーベで選ばれた新教皇“レオ14世”は、事前の予想では全く名前があがってこなかったダークホースでした。そして、バチカンの歴史上初のアメリカ出身の教皇ということが話題になって、メディアで大きく取り上げられていましたね。専門家の解説によると、レオ14世が選ばれたのは、彼が長年ペルー教区での布教に関わっていたので、ラテンアメリカを重視しているバチカンの意向に沿う人物であった事と、フランシスコ前教皇が行っていた改革路線に賛同している事が要因であると言われています。加えて、アメリカ出身の教皇が誕生した事は、現在の分断した社会と混沌とした世界秩序を解決する役割を、アメリカと共にバチカン教皇庁が担ってくれるのではないかという期待の表れだという見方を伝えている人もいます。

 確かに、バチカンが核戦争の危機回避に一役買ったことがありました。キューバ危機については皆さんも聞いたことがあると思います。1962年、ソビエト連邦によるキューバへのミサイル基地建設がきっかけで、米ソの間で「すわ戦争!」という状況になってしまった事がありました。両国の相手国に対する疑心暗鬼が負の連鎖を生んでしまって、ケネディ大統領もフルシチョフ書記長も核のボタンを押す一歩手前という抜き差しならない緊張状態になっていたのですが、お互いが話し合うことで世界の破滅を回避することができたという事が知られています。その時に、完全にテンパってしまって、お互い連絡もとれない状況になっていた両者の間に立って、仲介の労をとったのが当時の教皇であるヨハネ13世でした。先日惜しまれながら亡くなった故フランシスコ前教皇も、混迷する世界に対して常に平和への働きかけを行っていた事が知られています。とりわけロシアによるウクライナへの侵攻には心を痛められていて、ロシア正教会の総主教との協議で、停戦協議の開催を訴えていました。停戦仲介のため、ウクライナ、ロシア両国への訪問も計画されていたそうです。又イスラエルのガザ侵攻についても、イスラエルによる非人道的な攻撃に対して強く非難をされていました。ガザの人達にも常に寄り添う姿勢で接していて、毎晩ガザ教区の信徒や司教に電話をして、彼らを励ましていた事が報じられています。新教皇のレオ14世も、世界に平和をもたらすためにご自身が努力される事と、ローマ教皇庁が、紛争当事者同士の対話を働きかけていく事を約束する旨の声明を行っています。そして、対立する陣営が話し合いをする場としてバチカンを提供するという発言もされています。

 現在、愚かな戦争真っ最中のパレスチナでは、住民のみなさんが、我々が想像できない様な過酷な状況下に置かれています。私は、この惨状をニュースで目にするたびに、「この世に神様はいないんかい!神さんは一体全体、なにをボサーッとしてんねん!」という、冷たい怒りで胸が一杯になってしまいます。イスラエルで国を動かしている連中は、控えめに言っても史上最悪クラスの屑人間で、モラルの欠片も持っていない最低の便所虫野郎ですよね。やつらは誰にでも噛みつくバカ犬のように、対立する勢力には見境なく攻撃をして、ガザ、ヨルダン川西岸に留まらずに、隣国レバノン、そしてとうとう大国イランにまで大規模な攻撃をおっぱじめてしまいました。そして、そんな気が狂った連中の後ろ盾になっているのが、トランプジジイ率いるアメリカ合衆国ですよね。アメリカは、後ろ盾になっているだけではあきたらず、とうとうイランに直接攻撃をかましてしまって、バトルフィールドに、ラスボスが直接乗り込んでしまいました。今や紛争の解決について国連が全くあてにならない事は周知の事実で、解決の道筋は、力ずくで、つまり武力を行使して相手を屈服させるしかないという野蛮な場所にこの世界がなり果ててしまった事に、私は落胆しています。こんな事が起きる直前に、アメリカ出身の新教皇が誕生した事に、私はなんだか奇妙な運命を感じてしまいます。困った時の神頼みという使い古されたことわざがありますが、こんな時にこそ神様になんとかして欲しいと思ってしまうのが人情というものですよね。なので、以前世界の終わりを阻止してくれたように、今回もバチカンに事態を収拾する役割を果たしてほしいと、私は切に願っています。

 中東、特にシリアからパレスチナ、イラク、ヨルダンにかけてのエリアは、古来からヨーロッパとアジア、そして北アフリカの文明が交差してきた、そして歴史的にも多くの因縁と恩讐が複雑に絡み合ってきた、まさにカオスの土地ですよね。この一帯は、国家-民族と宗教、そして文化の違いから幾多の対立が幾度となく起きていて、別名世界の火薬庫と呼ばれている、今も昔も飛び切り危険なところですね。この土地で、世界中で信じられている3つの一神教が生まれたという事に、なんだか運命の奇妙な符合を感じてしまいます。皆さんご存じの通り、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、いずれも信じる神は同じで、それぞれの違いは、大幅に端折って言うと(端折るなよ!という突っ込みはやめてくださいね)神様のお告げを聴いた人、つまり啓示を受けた人が違うという点ですね。この世界3大一神教を例えるならば、あまり良い例えとは言えませんが、同じ父親(神様)から生まれた異母兄弟の様なものでしょうか。この3兄弟は大層仲が悪くて、しょっちゅう諍いを起こしています。私がこの兄弟の性格分析を勝手にさせていただくと、こんな塩梅になりました。長男のユダヤ教は勉強が大好きで、勤勉でくそまじめな性格です。しかし、何に対しても「それは何でや?何でそうなんねん?」と突っ込んでくる大層面倒くさい奴なので、街の人達からは煙たがれていて、彼の周りには同じような性格の人間ばかり集まっていました。次男のキリスト教は、そんな長男とは正反対の性格で、柔軟で融通が利いていて如才がないので、周囲に人が自然に集まってくる、街の人気者でした。三男のイスラム教は、曲がった事が大嫌いな一本気な性格です。そして自分が父親に一番かわいがられていると思っていて自信満々です。こうした真っ直ぐな姿が街のやんちゃな人達を強烈に引き付けていました。こうして無責任に性格を比べてみると、3人兄弟の典型像の様で、面白いですね。しかしながら信者の人たちからすれば、「何が面白いですねだ、バカヤロー!」「いい加減な事を言うんじゃねえぞ!聖書やコーランを読んだこともない奴が薄っぺらい事をぬかしやがって!」「てめえには神罰が下るぞ!」と怒り心頭で、石をぶつけられそうですね。仰せごもっともで、石を投げられてもしかたがないのですが、それぞれが辿ってきた歴史を鑑みながら、旧約聖書と新約聖書、そしてコーランの解説を読んでいると、当たらずも遠からずだと私は思っているのです。しかし現実に戻ってみると、3大一神教の性格の違いが世界に及ぼすエコーはあまりにも影響力が大きすぎる様に感じてしまいます。そして、3兄弟の長男で、一番真面目で几帳面、そして探求心に富んで能力あふれる人間を創り出してきたユダヤ教が、世間から煙たがられて、過去にはいわれのない差別や迫害を受けてしまっていたのは、なんだか皮肉な結果ですよね。

 中東で今起きている混乱の根本は、まさにこの点にあると私は思っています。中世ヨーロッパでは、ユダヤ人は土地を持つことが禁じられていて、ゲットーと呼ばれていた地域に押し込められていたそうです。職業も、当時卑賤だと考えられていた“金貸し”や“商人”にしかなれなくて、被差別待遇者としての歴史を積み重ねてきていた様ですね。そんな境遇だったので、「いつか差別や偏見を受けることがないユダヤ人だけの国家を作るんだ」という、“シオニズム”という思想が生まれてきたのも無理がない事ですよね。有能で勤勉なユダヤ人は、金貸しや商業で成功をおさめる人を多数輩出してきました。そんな成功者達は、1900年頃に彼らが魂の土地と考えていたエルサレムの土地(後にパレスチナ全土に広がりました)を買って移り住みだしました。そうした入植者(シオニストと呼ばれています)の存在と、この地に対する世界の大国の関わり、そして国際社会の無責任な対応が、2度の世界大戦の混乱を経てイスラエルという異質な国家を生み出してしまった様に私には思えるのです。そしてそれは、シオニズムという思想を生み出してしまったヨーロッパ社会によるユダヤ人に対する偏見と差別、そして抑圧の歴史の成れの果てだと感じています。

 イスラエルに対して国際社会が毅然とした対応がとれないのは、ヨーロッパ諸国の弱腰な姿勢も一因ですが、根本的な理由は、アメリカが、善いも悪いも関係無しで露骨にイスラエルを守ろうとしているからだという事で間違いありませんよね。何故アメリカがイスラエルの後ろ盾となっているのか、それはユダヤ人成功者達による強力なロビー活動ももちろんですが、アメリカ宗教界の最大勢力であるプロテスタント福音派がイスラエルを強力に後押しをする存在になっている為であると言われています。福音派の人達は、聖書に忠実であれというプロテスタントの教えのなかで、より先鋭化した立ち位置である事が知られています。聖書の中に「神はイスラエルをユダヤ人に与えた」と解釈できる一節があることから、彼らはパレスチナの地はユダヤ人のものであると考えているそうです。その中の一部のグループでは、「黙示録に、世界の終わりにイスラエルの土地にイエス・キリストが復活して、自分たちを救ってくれる」と解釈できる記述があるので、イスラエルは自分たちが守らなければならないという荒唐無稽な考えを信じ込んでいる人達さえいます。福音派はアメリカの人口の4分の1を占めていて、政治的にも最重要カテゴリーなので、政治家は民主党、共和党どちらの側も、彼らに媚びへつらっています。このようなアメリカの姿勢は、アメリカに安全保障を依存しているヨーロッパや日本にも大きな影響を及ぼしていて、どの国もイスラエルには強い態度を示すことが出来ていません。そして、そのような国際社会の弱腰がイスラエルをつけあがらせて、この国は好き放題、やりたい放題の迷惑千万な存在になっています。

 私は、単細胞で思慮深さを一切持っていない無知蒙昧の徒で、おまけに思っている事をはっきり言ってしまう空気を読めない輩なので、周囲の人達から困った奴だと思われています。なので、バカ丸出しで自分の考えを開陳しますと、中東で今起きているあらゆる厄災は、イスラエルという国が抱え込んでいる歴史の怨念が元凶だと思っています。こうした言い草は、イスラエルにご縁がある人達にはとうてい受け入れられないという事はわかっています。パレスチナ紛争に関しては、イスラエル側、パレスチナ側、双方にそれぞれの言い分があって、どちら側にも正義があるのでしょうね。しかしながら、お互いの言い分を聞いていたら、論理の迷路に迷い込んでがんじがらめになってしまいますよね。私は、こうした場合は起きている現実だけに目を向けて、そこで起きていることの善し悪しだけを客観的に考える姿勢が必要だと考えています。直近で起きている問題の発端は、ハマスによる大規模なテロと誘拐事件ですよね。しかしながら、それに対するイスラエルの報復は凄まじいもので、ガザの市街地は瓦礫の山になってしまいました。今回の侵攻で、ガザ住民の死者は5万人以上、負傷者は11万人以上という凄まじい数になっています。報復行為というにはあまりにも非道で凄惨な行為だという事で、国際社会からも非難されています。「やられたらやり返す。倍返しだ‼」と息巻くのはドラマだけにして欲しいですよね。ミサイルが飛び交っているのが日常で、テロリストが跋扈しているような究極の環境に身をおいていたら、物事を冷静に考えられない事はよくわかります。しかしながら、ガザの市街地を廃墟にするだけでは飽き足らず、国際機関による食料供給のロジを遮断して住民を飢餓状態に陥れて、地獄のような苦しみの末に餓死する人も出ている現実は、どう考えても悪魔の所業としか思えません。

 イスラエルは、今や軍事的に、そして経済的にも押しも押されぬ大国ですよね。そんな強大なパワーを持った国家が、テロとの戦いという名のもとで、巻き添えになっている住民の命を奪い続けている事に、私は強い憤りを感じてしまいます。このような所業については、「イスラエルでは、自国を守ることが何よりも優先されるので、世界の人々からに憎まれようが非難されようが知ったこっちゃないんだ」と識者の人達は解説をしています。しかし私は、イスラエルの人達に、あなた達の神様は、本当にそんな事をあなた達に望んでいるのですか?と問いたいですね。あなた達が信じている神様に嫌われて、憎まれて、愛想をつかされたら、あなた達はどうするんですか?と訴えたいですね。旧約聖書は難解すぎて、本当は何を言いたいのかさっぱりわかりませんが、少なくとも罪なき人々を巻き添えにして殺しても良いなんてことは、モーゼは言っていないと思いますね。モーゼもきっと、小難しい表現の口伝を自分たちに都合よく解釈をして、それを旗印に棒弱無人の狼藉をやりたい放題やっているイスラエルの行為については眉をひそめていて、神様といっしょに「困ったもんだ」と難しい顔をしている事と思いますね。

 イスラエル国民のみなさんは、現在のこの国の在り方について納得をしているのでしょうか。現在この国の舵を取っている連中、なかんずくネタニヤフ、ベングビール、スモトリッチの3名は、控えめに表現したとしても下水管に流れている汚物以下の人間で、この世から一刻も早く居なくなって欲しい類の輩ですよね。しかし嘆かわしい事に、各種報道によると危機的な水準であったこの屑政権の支持率が、イラン核施設攻撃で急上昇しているそうです。常にミサイル飛来のリスクにさらされていて、空爆警報に怯えながら暮らしている人達にとって、安全な日々は悲願になっていて、リスクの排除を切望しているのは理解できます。しかしながら、私としては、イスラエルの人達も本当は、この国の在り様に疑問を感じていて、もっと穏健なやり方があると考えていると信じたいですね。私は、強者は弱者に寄り添っていく姿勢が必要だと考えているのです。そして、イスラエルはパレスチナに対しては間違いなく強者ですよね。イスラエルの人達が平和で安全な暮らしを送りたいという気持ちはよくわかります。であるならば、同じ事をパレスチナの人達にも分け与える広い心を持ってもらえないものでしょうか。「安全な所でのうのうと暮らしてやがる癖に、何を夢みたいな事を言ってやがる!この偽善者野郎!」「何も知らないくせに正義感を振りかざしやがって!青臭い奴だよ!」という外野からの声が聞こえてきます。しかし、私は伝えられている様な悲惨な事が起きている現実に耐えられないのです。怒りと悲しみに泣き叫ぶ人達。自分に降りかかった運命が信じられずに放心状態になっている人達。そんな光景を見るにつけて、神様がもし存在するのなら、こんな事はもう終わりにして欲しいと願っているのです。青臭い偽善者で結構毛だらけです。私は、何の影響力も持っていない、非力なただの傍観者です。私にできる事といえば、唯こうして駄文を書き散らかして文句を垂れ流しているぐらいしかありません。それでも、「あれこれと考えて思い悩みながら、それでもこんな悲惨な状況が一日も早く終わるように神様・仏様にお願いしているほうが、今現実に起きている事から目をそらして思考停止でいるよりも100倍ましだよね」と独り言を言いながら、七夕の短冊に、「平和な世界になりますように」と、小学生が書くような願い事を書いてしまっていたのでした。

The Sound Of Silence:神の名のもとに繰り広げられている醜悪な争い。もし神が存在しているとするならば、今起きていることをどう考えているのだろうか…

The Sound Of Silenceは、Simon & Garfunkelが1964年に発表した彼らのデビューアルバム、“Wednesday Morning 3.A.M”の6曲目に収録されている曲です。この曲は、ダスティン‣ホフマン主演の映画、”卒業“の主題歌としてあまりにも有名なのでみなさんもご存じだと思います。この曲を作詞したポール・サイモンは、文学的、そして哲学的で難解な世界観を作品のLyricで表現する事で知られています。この曲では、静寂がテーマになっていますが、そこには、孤独や無関心でささくれだった世界への静かな批判が込められているという解説が為されています。また相棒でボーカルのアート・ガーファンクルは、あるコンサートでのMCで、「この曲は、人々がお互いにコミュニケーションが取れなくなっている事、そして私たちの周囲にいる、お互いを愛せなくなっている人々に向けて歌っているんだ」と語っていました。しかし、私がこの曲のLyricから感じるのは、神様の存在です。この曲の冒頭に登場する、話しかけても沈黙でしか答えてくれない友達の暗闇くんは、私たちが心からお願いしても、何も答えてくれない神様を暗喩している様に感じてしまったのです。そしてそういった感じは、私が高校生の頃に読んだ遠藤周作氏の”沈黙“という小説からインスパイアされました。”沈黙”は、敬虔なクリスチャンとして知られている遠藤周作さんの代表的な作品で、マーティン‣スコセッシ監督による映画も公開されていたので、ご存じの方も多いと思います。この小説のテーマについては、様々な意見が語られています。私は、神への信仰とはどういうことなのか?という事が問われている様に感じました。主人公のロドリゴ神父は、江戸幕府によるキリシタン弾圧の下で、残忍な拷問のすえに棄教や殉教をしてしまう信者や同僚の姿を目の当たりにしながら、自身も棄教を迫られています。そして、そんな悲惨な現実に対して神が沈黙を貫いている事に対して、彼が抱いた疑問と葛藤がこの小説では描かれています。悲惨な現実にも沈黙している神の姿は、今まさにパレスチナで起きている現実と、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教信者の皆さんの心の深淵を映し出している合わせ鏡の様に私には思えるのです。私は、無宗教で信仰心の欠片も持っていない、いたって罰当たりな人間です。しかしながら、無神論者ではなくて、神様の存在については信じています。私が信じている神様もまた、語りかけても決して答えてくれず、心からお願いしたとしても、奇跡を起こしてくれません。唯々私の行動を天から見守っているだけです。私は、そんな神様に対して恥ずかしくない様に、日々を一生懸命に生きているつもりです。とはいえそんな高尚な事はすぐに頭から消えてしまって、毎日不謹慎で罰当たりな事ばかりしでかしてしまっています。そして週末には、「神様、どうか今日のメインレースで万馬券をプレゼントしてください」とお願いをしながら、スタートで出遅れて馬群に沈んでしまったジョッキーに、神様にはとても聞かせられない様な、恥知らずで下品な罵声と悪態をついているのでした。

このような駄文を最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

みなさんにとって明日が今日よりいい日になりますように。

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