瑞穂の国の希望の実り -Sunshine On My Shoulders-

 先月公表された総務省家計調査の結果は、みなさん既にご存知の事と思います。餃子消費量日本一や焼肉消費量日本一に一喜一憂しているあの街やこの街の皆さんをよそに、聞き捨てならない結果も示されていましたよね。何と、我が国のエンゲル係数が28.4%という高値を示して、それは43年振りの高水準であったそうです。エンゲル係数は皆さんご承知の通り、家計の総支出に対する食費の割合を示した指標で、一般的には高ければ高いほど生活に余裕がない貧しい国であると言われていますよね。他の先進国を見てみると、ドイツ19%、イギリス20.5%やアメリカ16.4%となっていて、これらインフレに苦しんでいる国々と比べてもぶっちぎりで高い値になっています。かつてはJapan as No,1などと言いながら、肩で風を切って世界を渡っていた我が国ですが、今や落ち目の三度笠で、すっかり貧しい国になってしまったのですね。

 こんな有様になってしまった原因は、みなさんお察しの通り、ここ数年来の物価上昇のせいですよね。とりわけ食料品の高騰が家計に大きなダメージを与えている事を、識者の皆様が各種媒体で発言されていますよね。中でもお米はとんでもない値段になっていますよね。昨年夏頃に始まった「令和の米騒動」では、スーパーの店頭からお米がなくなってしまって、それに伴い米の販売価格も青天井で上がり続けています。米不足が顕在化した際に当時の農水大臣は、「これは一昨年の天候不順によるコメの不作が原因で、昨年は例年並みの収穫があったので、新米が市場に出回れば価格は安定する」と呑気に語っていました。しかし残念ながら年を跨いでも米価は上がり続けていて、とうとう政府は、備蓄米放出に舵を切りましたよね。にもかかわらず米価高騰は止まらず、現在の標準小売価格は5kgが4000円を超える価格となっていて、コシヒカリやつや姫などのブランド米は5000円を越える値で売られています。

 何故お米はこんなに高値になってしまったのでしょうか?現農水大臣は、本来市場に出ていなければならない筈の21万トンの消えた米があると語っていました。そして、流通過程で今以上の値上がりを待って売り渋っている業者がいると鼻を膨らませて怒っていましたよね。そして、備蓄米放出によって、その様なけしからん輩も在庫を放出せざるを得なくなるので、米の値段は安定すると自信満々に言っていましたね。私はその様子を見ながら、「あんた、本当に見たんか?本当に米の値段は下がるんか?」とツッコミを入れてしまいましたね。残念ながら私のツッコミ通りに現在も米価高騰は続いていて、農水大臣は自身の能無しぶりを世間に喧伝する事になってしまいましたね。農政の専門家の中には、そもそもお米の生産量が足りていないのだと語っている人がいます。曰く、現在日本の米生産量は、全国の需要をギリギリで賄える量となっていて、一昨年の不作で生じた在庫不足の解消と今後を考えた在庫確保を目的とした生産者農家への先買いの加速が、米不足の主たる要因だとおっしゃられています。お米の値段を吊り上げるために、農水省とJA全農、そして生産者が結託して米の流通を減らしているという陰謀論を語っている人もいますね。外国資本が買い占めているなんて荒唐無稽な事を言っている人もいて、我が国の主食であるお米の不足が何故起きているのかという大変重要な問題について、情けない事に、政府行政を含めて誰も確たる要因を述べる事が出来ていませんよね。兎にも角にも、米の流通が滞っているのは間違いない事なので、誰でもいいから本当に何とかして欲しいですよね。
 

 米が日本の主食である事には、誰も異存はないと思います。中には「お米は太るから食べないわ」なんて事を公言している、いけ好かない・・・失礼、言い間違えました。意識が高い人もいる様ですが、大方の日本人はジャポニカ米と呼ばれている短粒種米を美味しく味わっている筈です。そもそも我が国の成り立ちには、お米が深く関わっていると言われています。日本書紀には、天照大御神が孫のニニギノミコトに高天原で作った神聖な稲穂を授けて、「人々の命の糧としてお米を作りなさい」と命じたという記述があるそうです。ニニギノミコトの子孫が現在の皇室なので、神話の時代から我が国では米を中心にした国造りを行ってきて、それは現代まで連綿と続いてきているのですね。天皇陛下が行う様々な行事の中でも、秋の実りを神様に感謝し翌年の豊作をお願いする新嘗祭は重要な祭事として位置付けられていますよね。また。日本全国に伝わっているお祭りの多くは、五穀豊穣を神様にお願いし、感謝をする為に行われているそうです。加えて米は、遥か昔、飛鳥時代から、基礎通貨として経済の中心となっていて、税として国家に収められる事になっていました。平清盛が宋銭を大量に輸入して、貨幣経済が始まった後も、米は経済の中心であり続けて、明治時代に地租改正が行われるまで税の中心となっていました。つまり、米は長年にわたって実質的に日本経済の中心であって、精神的にも重要な、日本人にとって神聖な存在であったという事ですね。

 歴史のページをめくっていると、米不足による大騒動は度々起きていて、「歴史は韻を踏む」(©磯田道史先生)という名言を思い出してしまいます。江戸時代の、享保・天明・天保の大飢饉は有名ですよね。飢饉の度に腹ペコ民衆の大暴動が起きて、お上も抑えられない程のてんやわんやの騒ぎになっていた様です。天保の飢饉の際には、大塩平八郎の乱なんて騒ぎまで起きてしまっています。大正時代の米騒動では、当時の寺内正毅内閣が倒れてしまいました。近年では、平成の米騒動が皆さんの記憶に新しいところだと思います。記録的な冷夏の為に生じた米の極端な不作の為に、当時(平成5年)の市場からお米が消えて、多くの人が米を求めて右往左往していましたよね。当時、タイ米の緊急輸入が行われたのですが、当時の日本人は、長粒種のインディカ米の知識が不足していて、その扱いに慣れていなかったので、食味や味の違いを理解することが出来ず、せっかく手に入れたタイ米はあまり使われなかったようですね。とても勿体無くて罰当たりなことに、廃棄されたタイ米も多かった様です。なかには、「こんな不味いもの食えるか!」なんて心無い事を言う人もいて、結構な国際問題にもなりましたよね。タイの農家の人たちには誠に申し訳ないのですが、当時の我が家でも、タイ米の独特な香りと食感にはどうしても馴染めずに、連日晩飯はカレーだった事が思い出されます。カレーが大好物の私でも、流石に10日以上カレーの日が続くと、なかなか辛いものがありましたね。私は、当時の悲しい思い出が今回のコメ不足で甦ってしまって、結構ムカついています。今回の米価高騰のため、とうとう我が家でも白米にもち麦や五穀米が混ぜられてしまう事と相成りました。健康にも良いしそれなりに美味しいので、それはそれで結構な事だと思うのですが、やはり銀シャリを腹一杯食べたいという贅沢な望みも持っています。まるきた水産謹製の博多辛子明太子あごおとしや小ナスと胡瓜の古漬けと一緒に、炊きたての白米を口一杯に頬張ると、大脳辺縁系から幸せホルモンが大量に放出されて恍惚となってしまいます。タレにたっぷりひたした上ロースの焼肉にミルキークイーン、胡麻すりソースでいただくヒレカツにひとめぼれ、さらには炭火で焼いた鯖のへしこにコシヒカリの組み合わせは、美しいハーモニーを奏でるサイモンとガーファンクルの様に最強最高のタッグですよね。私は、こんなささやかな楽しみを奪ってしまった連中に、「許さんぞ!」と怒っているのです。幾多の教訓がある筈なのに、庶民の楽しみを台無しににしてしまった政府農政担当のボンクラ連中には、「お前らは、ブタの食べ残しの10年前のコメでも食らってやがれ!!」という呪いの言葉を浴びせたいですね。そして、そんなボンクラ官僚の説明を信じて、世間に誤った情報を撒き散らした新旧農水大臣には、「てめえらは、次の選挙で落選じゃ!罪滅ぼしに一生田んぼでカカシをやってやがれ!」と罵倒してやりたいですね。食べ物の恨みは恐ろしいのです。

 私は、農政についてはズブの素人で、無知蒙昧の輩なのですが、今回の騒ぎで、戦後の米をめぐる農政について興味が湧いたので、少し調べてみることにしました。現在の米生産者の姿は、敗戦後に行われた農地解放によって、大地主から小作人に農地が分配された事から始まっている様ですね。当時から国家による米の管理は重要なミッションで、米が配給制であった時期もある様です。米穀通帳はご存知でしょうか?私の両親の世代、つまり戦争を経験した世代の人達は、米穀通帳という代物を実際に使っていた様ですね。米の流通は、農業基本法と食糧管理法で国家によって厳格に管理されていて、国への全量売却に加えて、価格も国が決めていました。国に米を売るには、農協を介して行う事になっていたので、その結果農協は、農家や農政に絶大な影響力を持つことになっていった様ですね。その一方で、アウトサイダーによる不正流通、いわゆる闇米も出回っていた様です。政府は、ヤミ米対策のために自主流通米を導入。食管法の改正を経て2005年の改正食糧法の施行という流れの中で、米の流通は民間に任されることになりました。しかしその結果、自由化された米は熾烈な価格競争にさらされる事になり、その上食生活の欧米化により米の消費量は年々減少していったために、価格がどんどん下落してしまった様ですね。そこで、「米価が下落するのは、米が余っているからなんやで」と考えた農水省のお役人達が考えたのが、農家に補助金を渡して稲作からの転作や耕作放棄を促す政策、いわゆる減反政策なのですね。米価を安定させる目的で採用された減反政策は、需要と供給をコントロールしながら米の生産調整を行ったのですが、結果的にコメの作付け面積は年々減少してしまうこととなりました。加えて、稲作農家の高齢化や過疎地での耕作維持の困難さから、耕作放棄地も増加し続けていて、耕作面積は、ピーク時と比較して現在は約40%(126万HR)にまで減少している様ですね。減反政策は2013年に廃止されているのですが、転作に対する補助金は継続されていて、その実は骨抜きだと言われています。そして、現在のコメ不足の最大の要因は、この減反政策だという批評をされている農政の専門家もいます。実際、減反政策廃止後の米の生産量の推移は横ばいとなっていて、生産者に新たな耕作への意欲を抱かせる事は出来なかった様ですね。一度補助金の蜜の味を味わってしまったら、そこから抜け出せなくなるのは人情として理解できますよね。

 こうして戦後農政について一連の動きを流れに沿ってみていくと、いかに農政官僚が場当たり的でその場しのぎの政策を行ってきたかが良くわかります。勿論、事はそれほど単純ではないというのはアホな私でもわかります。業界には様々な利害関係者が蠢いていて、お米が生み出す権益や利益に群がっているので、そこへの手当を行いながら農政を前に進めていくのは大変に面倒なことであったとお察しします。しかし、そうした各方面へ配慮と忖度で受益者の権利を保護してきた行動のなれの果てが、今の姿になっているのだと私は思っています。そしてそこには、「行政による管理統制」「身内の権利確保とその維持」「場当たり的な対応と責任回避」という言葉がおんぶお化けのようにしがみついている様に私には感じられるのです。こうしてお米の流通は自由化していった一方で、生産に関してはいまだに規制でがんじがらめになっています。現在の米農家は、農地法や農業基本法で保護されている反面で、株式会社など他業種から農業への新規参入に関しては厳しく制限されています。農業生産法人と特定法人貸付事業による企業参入という形での参入は認められていますが、それぞれたくさんの条件が設けられていて、実質的に一般の企業は農業に参入は出来ない事になっている様ですね。政府の理屈としては、株式会社が農地を取得すると、儲からないとなると宅地や工場用地に転用してしまい、持続的な米の生産が出来なくなると言っています。お米は日本人にとってとても大切な主食なので、その生産者は、食糧安全保障の観点からもできるだけ保護しなければならないという理屈なのですね。なるほど政府の言い分もなんだかわかるような気がします。

 この中途半端な農政で生じた二律背反が放置されてきた結果が現在の混乱を生んでいるのだとすれば、備蓄米の放出などという小手先の対応ではなく、抜本的に対応を変更したほうがいいと私は思っています。株式会社に農業の門戸を開くという事については、現在も議論されているアジェンダですよね。それも大変結構な事なのですが、私は、それに加えて現在の米流通に関しては、今よりも厳しい規制をかけたほうがいいのではないかと考えています。現在、精米の販売は、年間20T以上に関しては地方農政局への届出制となっていて、簡単な条件さえ整えれば、誰でも(外国資本でさえも)農家から直接買い付ける事ができるという建付けになっています。私の考えは、生産者からお米を入荷するのは集荷業者に限るという事にして、そこには厳しい条件や規制をかけるという制度設計です。中途半端ではなく、やるなら徹底的に行う、それがお米に関わる産業を持続可能なものにしてくれて、お米の価格も安定するのではないかと考えているのです。お米が日本人にとって大切な宝物であるのであるならば、宝物を扱う人達は、お米に愛情を持っていて大切にしてくれるという信頼に値するプロフェッショナルに扱って欲しいのです。今回の騒動で、JA農協の事を批判している評論家がいますが、私は、お米に関することについては、農協の事を信頼しているのです。素性が怪しいブローカーみたいな連中が、農家の人たちのほっぺたを札束で叩いて貴重なお米を買い漁って行く様な真似はして欲しくないのです。農協の他にも、神明や伊藤忠食糧など、信用できる集荷業者はたくさんありますよね。こんなことを無責任に書いていたら、専門家と称する人達や評論家と名乗っている人たちから「ド素人の癖にわかったようなことを言ってんじゃねえよ!このタコ!」「何もわかってない脳足りんが薄っぺらい事を言いやがって!このクズ!お前なんか肥溜めにはまって糞まみれになってやがれ!」といった罵詈雑言を浴びそうですね。私はおそらく荒唐無稽で支離滅裂な事を吐き出しているだけなのでしょう。自分でも、無知蒙昧の輩が、表面上の事しか見ずに浅はかな事を言っているという自覚は持っています。それでも、「思考停止でいるよりも、あれこれ考えて思い悩んでいる方が100倍マシだよね」と、毎度おなじみの台詞を、阿呆陀羅経の念仏の様に唱えているのです。

 日本の米の品種は、なんと300種以上あるのだそうです。冷害に強くて美味しいお米を作るために、多くの研究者や技術者、そして生産者のみなさんが品種改良に力を尽くしてくれたおかげで、私たちは今、美味しいお米を食べることができています。農水省の人たちを散々ディスってきましたが、私は現場で品種改良や、乾田耕作といった新しい技術開発に汗をかいている人達には、ひとかたならない感謝の念をいだいています。お米という漢字の語源は、八十八の手間がかかることに由来しているそうです。機械化が進んだ現代でもたくさんの工程が必要な、手がかかる作物であることは間違いありませんよね。私は以前、あるNPOの人達と一緒に、手植えでのお米作りを手伝っていたことがありました。その時に、田起こし(水を張る前の水田を耕すこと)や代かき(水を張った水田を平らにかき混ぜること)といった作業を側で見ながら、昔、トラクターがなかった頃は、いったいどうやってこの大変な作業をやっていたのだろうかと思っていました。そして、手作業で田植えや稲刈りをしている時に、「こんな大変な事は、お米に対する愛情がなければやってられないよなあ」と感じていたことを思い出しました。そう考えると、お米の有り難さが今更ながらに身にしみてしまいます。そして、「お米に宿っている7人の神様に怒られないように、これからは一粒残さずお米をいただかにゃならんね」と独り言を言った後で、「今夜は、但馬産蛇紋岩米を、もち麦を混ぜずに炊いてね」というLINEを奥さんに送ってしまったのでした。

Sunshine On My Shoulders:お陽さまの光をたっぷり浴びて、艶やかに育った天からの恵み。今日も美味しく味わう事ができる幸せを感じながら・‥。

Sunshine On My Shouldersは、アメリカン・フォークソングのアイコンであったジョン・デンバーが1973年に発表した曲です。C&Wのスタンダードナンバーとして大変有名な曲なので、皆さんも聞いた事があると思います。ジョン・デンバーは私の母親が大好きだったので、我が家の犬の置物が乗っていたステレオからよく流れていました。この人は、ちびまる子ちゃんの様な横一文字の前髪が印象的で、その穏やかな風貌と人柄が偲ばれる優しい歌声で、当時のおばさん連中(私の偏見です)から絶大な支持を集めていたシンガーです。レッド・ツエッペリンやディープ・パープルなどのハードロックで疲れた耳には、この人の穏やかな歌声は一服の清涼剤の様で、なんだか心が洗われて癒された事が思い出されます。この曲のLyricでは、優しく降り注ぐおひさまを浴びた時の幸せな気持ちが淡々と歌われています。誰でも、1日の始まりは、どんよりとした空模様よりも陽光が燦々と降り注ぐ気持ちがいい朝から始まりたいですよね。そんなふうに私たちの心を晴れやかにしてくれるのみならず、大切なお米や野菜を育んでくれるお天道さまには、改めて感謝の気持ちをお伝えしたいですね。ジョン・デンバーはこの曲について、その様な太陽への感謝の気持ちに加えて、「この世界全体が大切に抱えている何かに向かって、手を伸ばしているような曲なんだよ」と語っています。私は今まで、お米が主食で無くてはならないものだという事を理解していたつもりですが、こうしてお米が足りなくなって大変な思いをして初めて、その本当の大切さを痛切に思い知らされました。うなぎは只の蒲焼きで食べるよりも鰻重や鰻丼で食べるからこそ”はれの日”のご馳走ですよね。カツ丼も、ご飯がなければ只のカツとじで、お酒のアテにはなりますが、魅力は半減してしまいますよね。私は、今年のお米の豊作と流通の正常化を、心を込めて天照大御神様と八百万(やおろず)の神々にお願いをしながら、「今日の昼飯は、納豆とご飯に豚汁で完璧だよね」と独り言をつぶやいてしまったのでした。

このような駄文を読んでくださって、ありがとうございました。
皆様にとって明日が今日よりいい日になりますように。

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