想いよ届け -Please Mr.Postman-
令和6年がはじまりました。あけましておめでとうございます、と言いたいところですが、新年早々から北陸能登地域においてマグネチュード7.6という大地震が発生して、大変な事になってしまいました。被災された方々には謹んでお見舞いを申し上げるとともに、一日も早く平穏な日常が訪れますことを心からお祈り申し上げます。そして、全国各地から被災地の支援の為に駆けつけている人達、自衛隊の皆さんや各都道府県の警察・消防隊、DMATを始めとする医療関係の人達、その他多くの関係者の皆さんには心から感謝を申し上げます。被災していない私に今できる事は、被災地への募金を行う事くらいしかありませんが、この様な時だからこそ、被災地への思いと、今も汗を流している関係者への感謝を持ちながら、いつもと変わらない日常を過ごしていかなければならないと思っています。
皆さんは、新年はいかがお過ごしでしたでしょうか?年賀状は届きましたか?四六時中会っている知人・友人からでも、こういった改まった機会に交わす挨拶は嬉しいものですよね。ましてや日頃疎遠になっている知人からの賀状は、年に一度の挨拶とは言え心温まるものですよね。最近では、年賀状葉書のかわりに、スマホが正月の朝からブーブー震えて、LINEにスタンプが送信されてくるケースも多いみたいですね。それも昨今の世相を表している様で、「今風という事で、これもアリだよね」と思ってしまいますよね。しかし、日本郵便の人達にとっては、「何が今風だ。何がアリだよねだ、コノヤロー!お気楽な事言いやがって。バカヤロー!」と怒りに震えている事でしょうね。皆さんご存知の通り、年賀状の発行枚数は年々減少の一途を辿っています。2003年には約44億6000万枚あった発行枚数がとうとう今年2024年用の発行は、14億4000万枚になってしまいました。その理由としては、年始の挨拶がSNSなどの新しいツールに切り替わっていることが一因と思われます。その他には、少子高齢化が進んできて、高年齢層の人達が“年賀状終い”をする事もあるかもしれません。私の所にも、親戚や諸先輩方から今年も何通か、「本年限りにて失礼させていただきます」という、大変丁寧な賀状が届きました。企業や商店などの“業務年賀状”も減少しているみたいですね。私も、現役会社員の頃は100通以上のビジネス賀状を書いていて、それは多忙な年末に結構気が滅入ってしまうデューティでした。しかし、社会の雰囲気の変化や業務のリストラ(再構築)の流れから、10年前くらいから業務年賀状は年々減少していて、私も数年前に、これ幸いとばかりに止めてしまいましたね。
日本郵便にとっては、この様な年賀状離れは大打撃とお察しします。おまけに、年賀状だけでなく手紙や小包などの郵便事業全体でも業績は大きく沈んでいる様ですね。2001年度に約262億通あった郵便物は2022年度には144億通とほぼ半分の落ち込みとなっています。年賀状と同じく、郵便事業全体で社会のデジタル化の影響をモロに受けていて、ビジネスレターはほとんどE-MailやSNSに切り替わってしまっていますし、同意や承認に関わる各種申請書といった重要な書類についても、電子認証の進化によってデジタルでやり取りされるようになっています。私達の日常でも、クレジットカードの請求額の連絡やスマホの請求額の連絡などほとんど全ての連絡事項は、デジタルでのやり取りが可能になっていますよね。この様な社会の流れには抗う事が出来ず、日本郵便の営業損益は2022年度に211億円の赤字に転落してしまっています。人件費や輸送燃料費の高騰がそれに拍車をかけて、2027年度には、3000億円以上の赤字になる事が予想されていて、事業継続に暗い翳を落しています。天から渋沢栄一先生の「なんとかせんかい!」と怒鳴る声が聞こえてきそうです。前島密先生も草葉の陰で涙を流していることでしょう。このような状況を反映して、昨年12月に郵便料金値上げが総務省から発表されました。今回の値上げで、今年の秋ごろから、定型封書は25g以下84円、50g以下94円からいずれも110円に、はがきは63円から85円になる予定です。又、定形外や速達・レターパックについては30%の値上げの予定です。
今回の値上げについては、日本郵便の財務状況からすると仕方がないという声があります。一方で、年賀状や暑中見舞い離れの流れに拍車がかかって、郵便利用者は更なる減少になるだろうと危惧する声もある様です。しかし私は、こうして具体的な数字を示してもらうと、「今更ながらに私達はお手軽な値段で郵便を利用していたのだなあ」という思いを持ってしまいます。何せ、年賀状はたった63円で、北は北海道利尻島から南は沖縄県波照間島まで、日本全国津々浦々に、もれなくきちんと配達をしてくれるのです。そして、たった37円分の切手を追加で貼るだけで、世界中(121か国)に配達をしてくれることになっています。私は大変に面倒くさい性格をしているので、現在の郵便料金は、江戸時代の飛脚の料金と比べてどうだったのだろうと考えてしまいました。江戸時代の飛脚については、幕府ご用達の継飛脚、そして大名飛脚に加えて、民間の飛脚問屋が行っていた町飛脚の3種類があったようです。町飛脚については、配送日数に応じて値段が異なるという価格の設定が行われていた様ですね。慶應3年(1867)の相場では、江戸から大阪までの料金は、15日程度で配達をする並便で銀一匁であった様です。6日以内で配達をする早便では銀二匁五分、3日以内に届ける仕立て便では料金は跳ね上がって、金十一両という資料が残されています。ざっくりと現在の相場に換算してみると、銀1匁は大体3000円、金一両は19万円位になる様です。つまり、並便の料金は約3000円位で、早便は7500円、仕立て便は209万円となります。幕末、千葉道場で修行していた坂本龍馬さんも、結構なお金を払って、故郷の乙女ねえさんにせっせと文を送っていたのでしょうか(土佐藩御用商人が藩士の手紙をまとめて国元に送っていたという説もあります)。この料金が高いか安いかについては、人によって捉え方は様々であると思います。「大体江戸時代と料金を比べるなんて意味がにゃーよ!このタワケ!」といった声が三河安城あたりから聞こえて来そうです。仰せごもっともと私も思うのですが、手紙を送るという行為に江戸時代の人達は大きな価値を認めていて、決して安くはない金額で飛脚を利用していたという事は心に留めておかなければならないと思います。竜馬さんも、修行の成果や江戸や神戸・長崎のあれやこれや、そして何よりも、自分が無事に生きている事を故郷の乙女ねえさんや源おんちゃんに知らせておきたいと痛切に願っていた筈です。仕立て便については、恐らく紀伊国屋などの商人が、「江戸では完熟みかんより今年は酸っぱい早生みかんが流行る筈なので、青いまま今すぐ発送せよ」といった急を要する重要な連絡の為に、法外な料金を払って飛脚を仕立てていたのでしょうね。
情報の伝達という行為は、今も昔も変わらずにとても大切であるという事に異論はないと思います。なので、維新後の新政府も郵便制度を最重要国家事業して事業を開始しました。こうした経緯から、民営化した現在でも数々の恩恵がお上から与えられています。例えば信書(手紙や請求書、契約書などの書類)については、郵便法第76条で総務大臣の認可業者、つまり日本郵便が主に取り扱う事になっています(佐川急便にも特定飛脚便というサービスがあるそうです)。事実上の独占状態になっているのですね。皆さんは郵便法をご存知でしたか?コンプライアンスは大丈夫ですか?一人暮らしをしている子供さんに故郷の食材を送る際に、「これを食べて頑張るんだよ」などと書いたメモを同封していませんか?連絡文書や大事な書類を黒猫印や飛脚マークの宅急便で送ってはいませんか?白状しますと、私は現役会社員時代に結構な頻度でこの法律の脱法行為をやらかしていましたね。私は郵便法について、若手会社員の頃に業務課の力岩さん(仮名)という、恐ろしげな名前ですが性格はもっと恐ろしい課長から、「ええか、手紙は宅急便では送ったらいけんのじゃ!」と怒られた事があったのでした。しかし困った事に、その際に「手紙でなければ書類は宅急便で送ってもいいんだ」というとんでもなく誤った解釈を勝手にしてしまっていたのでした。しかし、法律では手紙だけでなく、「相手に自分の意思を伝えようとする文書は全て信書に該当する」と書かれていますよね。つまり、「宜しく取り図ってください」という一文が入るだけで、それは信書になってしまうのですね。私は、長年出張勤務をしていたので、各種重要書類に、ご丁寧な事に「何卒ご高配の程、宜しくお願い致します」などと書いたメモを挟んで、能天気にもコンビニから黒猫印で送付していたのでした。法律には、違反は「3年以下の懲役、又は360万円以下の罰金に処する」などと恐ろしい事が記載されています。私は、へそ下三寸が縮みあがってしまって、「郵便法違反の時効は一体何年なのだろう?」と考えてしまいました。頭の中で、力岩さん(仮名)の怒鳴り声が響いています。
近年、社会はすっかりITなる代物に浸食されてしまって、誰もがPC・スマホやタブレットを使ってコミュニケーションをとっています。スマホが使えない私の母親でさえガラケーでメール連絡などをして来ます。手書きの習慣はすっかり廃れてしまいましたよね。「メモは手書きだぞ。私は国民の声をちゃんと岸田ノートにメモしているんだぞ!」という抗議が永田町から聞こえて来そうですが、私が言いたいのは、人に読んでもらう為に文字を書く、つまり手紙を書くという事なのです。手紙に字を書くという行為には、一種独特な緊張感が付きまといますよね。逆に丁寧に書かれた手紙をもらった時には、なんだか背筋がピンとなってしまいますよね。ましてやそれが達筆な文字でしたためられていたならば、尚更ですよね。手紙のルーツは飛鳥時代まで遡るということになっていますが、盛んに書かれるようになったのは平安時代からであると言われています。それは、この時代に表音文字のひらがなが使われる様になって、貴族階級だけのものであった文字を用いたコミュニケーションが多くの人達に広まったからなのだそうです。この時代では、表現を巧みに操った和歌での恋文のやり取りが、平安貴族の間で盛んに行われていたのだそうです。繊細に。そして流れる様に書かれた当時のひらがなは、滑る様に、そして一筆書きの様に書かれた崩し字で、(私には全く読めないのですが)とても美しいものですよね。文の渡し方にも意匠が凝らされていて、紅梅の小枝に文を結んだり、紙にお香を焚き込めて馨しい匂いにしたり、「それはそれは、まあお盛んなことで・・・」と感心してしまいますよね。今年の大河ドラマでは、主人公(紫式部)が町の代筆屋で恋文の代筆のアルバイトをしているシーンが出て来ました。史実に基づいているかどうかは分かりませんが、いかにもありそうですよね。恋の成就の為に、甘い言葉といい匂いがする美しい文字で書かれた手紙、それを華やかな演出を凝らした方法で想い人に渡す、この様な振る舞いからは、雅で華やかな雰囲気と、悠然さや心の豊かさといったある種の余裕が感じられますよね。しかし、それを代筆屋に頼むとなると、必死で切実で、切羽詰まっている様でなんだか切なくなってしまいますよね。ちなみに紫式部役の女優さんは、劇中で文を書くシーンは、吹き替えは行わずにご自分で書いているそうです。とても美しいくずし字を丁寧に書いているシーンを見ていると、そのご努力に頭が下がる思いです。手紙を書くという行為は、単なる情報の伝達ではなく、そこに込められた想いや送った相手に自分の意思を分かって欲しいという願いが込められていて、その為に綺麗な文字や印象に残る表現を考えて、おまけに装飾にまで心をくだいてしまうものなのですね。現代においても、バラエティーに富んだ様々な種類のグリーティング・カードが毎年売り上げを伸ばしている様です。又、細書きの筆の様に、細く流れるような文字を書くことが出来るガラスペンも静かな人気を呼んでいる様です。自分の思いを伝える、その為に心を込めて文をつくり、それをアピールする為に華やかな演出を加える、そういった行為は、平安の古から現代に至るまで変わるものではないのですね。
私が新入社員の時は、営業先で面会をしていただいた得意先には、必ずメーリングをする様に上司や先輩から躾けられたものでした。念入りな事に、会社にメーリング用のはがきなんて代物も用意されていましたね。そして私達若手社員は毎日の様に、はがきにお礼の言葉を書き続けていたものでした。仕事に慣れてくるにしたがってだんだん横着になって来て、そういった喜ばしい習慣をサボる様になってしまいましたが、それでも最初に躾けられた所作というものは恐ろしいもので、折に触れてメーリングは行っていましたね。新婚旅行で南国のリゾートに行った時、帰国の飛行機の中で、現地で購入した大量の絵葉書にメッセージと日頃のお礼を書いた事が思い出されます。こんなに貢献してきたのですから、前述した私の犯罪行為については、何卒お目こぼし頂きますよう謹んで日本郵便の皆様にはお願いしたいところです。
世間はいまやデジタル一辺倒で、アナログなものは肩身の狭い思いをしている様に私には感じられます。手書きの葉書や手紙などその最たるものかもしれません。たしかにワープロソフトを用いたら、書き上げるまでの時間は大幅に短縮できますね。「皆様益々ご健勝のこととお慶び申し上げます」なんて文章も、いちいち辞書を引かなくても済みますし、書き間違いも速攻で修正できます。何といっても私の様な汚文字の持ち主でも、ゴシック・明朝なんでもござれの綺麗なフォントで印字をしてくれます。慶弔やお礼などのご挨拶に関しては、ネットで調べればいくらでも文例があるので、いちいち考える必要もありません。しかし、お世話になった方へのご挨拶やお礼についてはデジタルではなく手書きの手紙やはがきを使って欲しいですね。感謝の気持ちなど相手にどうしても伝えたい事があるのなら、それを届ける為の労は惜しんではいけないと私は思っているのです。ネットから引っ張って来た文例を使うなんてまるで代筆屋に恋文の代筆を頼むような真似はせずに、自分の言葉でメッセージを伝えて欲しいと思っているのです。もし入社1,2年目の小娘・小僧会社員が生成系AIなんて嘘くさい代物を使って、お世話になったお客様や関係者にお礼状などを作っているのなら、業務課の力岩さん(仮名)に告げ口をして、思いっきり説教をして欲しいものですよね。
私は、便利なツールについて、全てを否定するつもりはありません。便利な世の中になるのは大変結構なことだと思っています。しかし、効率が最優先される世の中やデジタル一辺倒ですべてをITに頼ってしまうという風潮はどうにも性に合わないのです。「また旧弊野郎がややこしい事を言ってやがるよ」と思われるかもしれません。自分でも「面倒くさい奴だよ」と思っているのです。しかし、効率ばかりを追い求めていると、世間が安易な方向に流れて行ってしまって、余裕がないギスギスした世の中になってしまうのではないかと危惧をしているのです。そして、「便利な世の中に対する感謝の念を心の片隅に置きながら暮らしていたいものだよね」などと考えながら、友達のLINE に、スタンプだけで返信しているのでした。
Please Mr.Postman:送る人、送られる人、それぞれの思いが詰まった手紙を抱えてPostmanは今日も走る・・・。
Please Mr.Postmanは、The Marvelettesというモータウン・レーベルのガールズ・グループが1961年に発売した曲です。モータウン・レーベルは、60年代にデトロイトで発足した新興のミュージック・レーベルで、その独特なリズムやサウンド、そして清潔感溢れるキャッチ―なメロディーで、世界中に大きな影響を及ぼしたレコード会社です。日本でも、大瀧詠一さんや山下達郎さんなど、多くのミュージシャンに多大な影響を与えたことが知られています。この曲は、モータウンが初めて全米チャートNo1を獲得した記念すべき曲で、多くのアーティストにカバーされました。特に有名なのは、ビートルズとカーペンターズによるカバーです。どちらも大ヒットしたのですが、私は、ひねくれ小僧のジョン・レノンよりカレン・カーペンターの透き通った歌声の方が好きですね。この曲では、遠距離恋愛中のボーイフレンドからの手紙を待ち焦がれている女の子の事が歌われています。しかし、実はこのLyricは、戦地、あるいは都会に出稼ぎに行かなければならなかった、当時の黒人の人達の置かれていた状況を暗喩しているという事が語られています。現実の世界でも、同じような事はいくらでも起きていて、ウクライナの人達やシリアから逃げ出した人達にとっては、自分の無事を知らせる事は切実な願いだと思います。そして、その為には手段なんか選んでいられないという人も沢山いる事と思います。そんな事を考えていると、「思いを伝える為には手間暇を惜しんではならない」なんてほざいている自分が恥ずかしくなってしまいます。それでも、どうすればいいのかをあれこれ考えて、思い悩んで、行ったり来たりしながらも生きていくのが人間という生き物だと私は考えているのです。そして、九官鳥の様に毎度同じ事を繰り返しているのですが、「思考停止でいるよりも、あれこれ考えている方が100倍ましだよな」と独り言を言いながら「今日の昼飯は何を食べようかな」などと能天気に考えているのでした。
このような駄文を最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
皆様にとって明日が今日より良い日となりますように。