とても大切なモノ -「"Heroes"」-

 年末恒例の、TIME誌が選ぶPerson of the yearが、シンガーのTaylor Swiftさんに決まりました。何かと暗い話題が多かった2023年ですが、彼女の歌声が世界を明るく照らしてくれたという事が受賞理由である様です。TIMEの選択にいちゃもんをつけるつもりは毛頭無いのですが、私としては、「今年の顔にふさわしいのはショウヘイ・オオタニだよね!」と力を込めてしまいます。大谷翔平選手が今年成し遂げたパフォーマンスは本当に圧巻で、その記録と記憶を生み出せる人は、今後現れる事はないと思っているのです。

 2023年、我が愛する野球は、3月9日、WBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)東京プールの開幕戦でスタートを告げました。東京ドームの開幕のマウンドには、もちろん世界のオータニさんが立っていました。対戦した中国代表との力の差は歴然としていましたよね。中国の選手達は、大谷選手の直球に目を白黒させながら、手も足も出ずに、きり切り舞いさせられていましたよね。大谷選手の159kmのストレートを打ち返してヒットを打ったヤン選手がとても嬉しそうにしていたのが印象的で、上から目線で申し訳ないのですが、「がんばってきた事がむくわれて、本当によかったね」という暖かい気持ちになってしまいました。彼にとっては一生の宝物になったことでしょう。大会を通じて大谷選手は侍ジャパンの中心選手として投打二刀流での獅子奮迅の働きでした。決勝戦のアメリカ戦ではリリーフとしても登場して、エンジェルスのチームメイト、トラウト選手とのガチンコ勝負という夢の対決まで実現しました。大谷選手が最後にえげつないスライダーで見事トラウト兄貴を三振に切って捨てた時は、本当に夢を見ている様な気持ちになってしまって、「もう思い残すことはない!このまま死んでもいい!」と思ってしまいましたね。ところが大谷選手は、その9日後には、WBC優勝の余韻に浸る暇もなく、MLB開幕投手としてオークランドのマウンドに立っていたのですから(投打二刀流で、打者としては3番DHで出場していました)化け物ですよね。今シーズンの大谷選手は殆ど休養をとることなく年中無休で走り続けて、打者としてはホームラン王、投手としては10勝という前人未到の記録を打ち立ててくれましたよね。

 国内の野球界も賑やかな一年でしたよね。何といってもあの忌々しいウイルスのせいで禁じられていた声出し応援が今年から解禁になり、スタジアムに本物の大歓声が戻って来ました。春夏の甲子園高校野球は、ようやく今年から応援団の入場が許されて、アルプススタンドに華やかなブラスバンドの音色が帰って来ました。夏の大会では、選手の自主性を重んじて、トレーニングや練習メニューも選手達が考えて戦ってきた陸の王者の高校が真紅の優勝旗を手にしましたね。彼らは、その練習スタイルだけでなく髪型も自由であることが話題になっていました。確かに主力選手の若い衆は、今までの野球ボウズの印象を180°覆すサラサラの髪の毛で、野球オヤジ達の反感を買っていましたが、私は彼らの感性がとても頼もしく感じられて、爽やかな印象を持ちました。

 NPBでは、日本シリーズが関西対決となり、関西地区では大いに盛り上がっていました。某新聞社系球団のファンの人が悔しそうに、「東京じゃあ全然話題になってないよ」なんて負け惜しみを言っているのを聞いて、性格に少々難がある私の友達たちは、「それはまあ、よござんしたね。お前らみたいな根性悪は日本シリーズは見んでもよろし。黙って糞して寝てればええねん。ざまーみさらせ」と、大いに溜飲を下げていたものでした。結局チャンピオンフラッグは「A・R・E」を合言葉に掲げていたあの球団が38年振りに獲得して、ヒョウ柄衣装の派手なおばはんや、酒癖と口は至って悪いけれど心根はとことん優しいおっちゃん達は、大いに喜んでいましたよね。関西2球団の優勝記念パレードも神戸三宮と御堂筋を人の波で埋め尽くして、世の中が、コロナウイルスの閉塞感から解放されたという事が実感できましたよね。

 そんな訳で、今年は、まさに野球の年と言っても言い過ぎではない程、野球の話題が世間を賑わせてくれましたね。私は、今年の夏の甲子園やNPB、そしてMLBの日本人選手の活躍を目にして、今は亡き水島新司先生の事を思い出してしまいました。天国の水島先生は、大谷選手を巡る華やかな話題や、今年世間を彩った野球界についてどう感じていらっしゃるのだろうか。水島先生が、今、この時を描くとしたらどの様な物語を描き出すのだろうか?山田太郎は、大谷翔平とメジャーリーグベースボールのグラウンドでどの様な勝負をしているのだろうか?そんな事を考えてしまったのです。水島先生は、誰もが認める漫画界のレジェンドですよね。代表作の「ドカベン」は、1972年から1981年まで都合9年間に渡って少年チャンピオンで連載されていた、野球漫画の金字塔です。私にとっては、小学生の時から連載が始まって、常に一緒に年月を過ごしてくれたかけがえのない漫画でした。そして、その物語は、「大甲子園」、「プロ野球編」、「スーパースター編」、ドリームマッチ編」と続いていく一大叙事詩となっています。発行されたコミックスは全て合わせてなんと203巻。今日本を生きているあらゆる年代の人達に親しまれてきた不朽の名作ですよね。

 娯楽が少なかった昭和世代は、野球は国民的なスポーツだったので、殆どの日本人が、自分の贔屓の球団の勝敗に日々一喜一憂していた様ですね。私達昭和の少年にとっても、野球はいつもすぐそばに居てくれた、とても身近な存在でした。そろそろ定年退職を迎える昭和おやじ達は、ほとんどみんな広場や公園で、キャッチボールや三角ベース(1塁と3塁だけの野球ごっこ)を楽しんでいたのではないでしょうか?昔は、どの町でも空き地があちこちにあって、立ち入り禁止なんて無粋な事は言われずに、悪ガキたちの遊び場になっていたのです。雑誌やTVでも野球モノが人気でしたね。我が家のTVがまだ白黒だった頃は、巨人の星が野球ボウズ達の心をつかんでいましたね。皆さんご存知の通り、このマンガは、主人公の星飛雄馬が数々の苦難を尋常ならざる努力で乗り越えていって、憧れの巨人軍のエースとして数々の魔球を操って活躍するという、スポーツ漫画の原点ともいえるストーリーでした。昭和おやじの皆さんは賛同いただけると思いますが、巨人の星に登場する人達は、どの人物もどこか傾いたところを持ったとんでもない人物ばかりでしたよね。主人公の家庭は、今にして思うと児童相談所のブラックリスト筆頭に間違いなく載せられているであろう、悲惨な一家でしたよね。父親は正真正銘のDV親父で、飛雄馬少年や明子ねえちゃんを怒鳴りつけて湯呑を投げつける事などは日常茶飯事で、彼の癇癪玉が破裂した時にはちゃぶ台をひっくり返して飛雄馬少年を殴りつけるという恐るべきサディストぶりでした。挙句の果てには、大リーグボール養成ギブスなる怪しげな器具(全身の筋肉に強力なバネで負荷をかけて強靭な筋肉を作るという恐るべきマシン)を服の下に装着させて日常生活を送らせるという悪魔の所業を己の息子に課してしまうという壊れっぷりでした。飛雄馬少年がDV親父のスパルタ特訓の末に編み出したのは、大リーグボールという名前の魔球でした。1号は、打者の構えたバットに向かってきて、絶対に避ける事が出来ずに凡打に打ち取るというとんでもないボールでしたね。今ならさしずめ「ただのビンボールじゃねえか!ふざけんな!」といった声が乱れ飛びそうですが、当時の純真な少年たちにとっては恐るべき魔球だったのです。

 飛雄馬君の魔球の名前からもお分かりの通り、当時の日本人にとっては大リーグ、つまりMajor League Baseballは夢のまた夢の世界でした。日本のプロ野球では、長嶋・王をはじめとして幾多のスターが活躍していましたが、日本人選手は、大リーグではとても通用しないと思われていたのです。世界の王、王貞治さんは、ハンク・アーロンが持つ通算ホームラン記録を超えて世界一のホームラン王となりましたが、日本の球場は大リーグに比べてまるで箱庭のように狭いので、その記録はまやかしであるなどと、アメリカの人達からは見下されていましたよね。当時の日本人にとって夢の舞台であったメジャーの厚い扉を開いたのは、野茂英雄選手でしたよね。(ちなみに大リーガー第一号は、マッシ―・ムラカミこと村上雅則さんです)野茂さんのメジャー挑戦は、近鉄を喧嘩別れの様な形で出ていった為に当初は物議を醸していたのですが、直ぐにそんな声はかき消されてしまいましたね。彼のトルネード投法から繰り出されるホークボールにメジャーの強打者たちのバットがクルクル回って、バッタバッタと三振に打ち取るのを見て、日本中の人が喝采を送っていましたよね。野茂さんは、ドクターKと呼ばれて、ノモ・マニアなる言葉も生まれました。野茂選手の活躍で。MLBの日本人選手に対する見方も劇的に変わった様に思います。その後ポスティング・システムや海外FA権を行使してメジャーに挑戦する選手が次々と現れてきました。中にはオーナーから「太ったヒキガエル」などと嫌味を言われた選手(特に名は秘す)もいましたが、MLBは今や夢の舞台ではなく、日本人選手でも十分に中心選手として活躍できる場である事が認められて来ましたよね。特に投手は、野茂さんを筆頭に大魔神佐々木や松阪、岩様(岩隈)や上原、黒田や田中マー君などチームに欠かせないピースとして活躍した選手を輩出してきましたよね。

 一方で野手にとっては、メジャーの壁は厚く立ちはだかっていますよね。中心選手まであと少しという選手は数多くいましたが、チームに欠かせない選手となると、私が思い浮かぶのは、振り子打法のイチロー鈴木、ゴジラ松井、そしてショウタイム大谷の3名ですね。(マッチョ吉田選手も、もちろん期待しています)イチロー氏は、日本人野手はMLBでは通用しないと思われていた時代に海を渡って、2001年シーズンには新人王をアジア人として初めて獲得しています。2004年には、不滅の記録と思われていた年間安打記録257安打を抜き去る年間262安打の大記録を打ち立てました。シアトル・マリナーズやマイアミ・マリーンズではチームリーダーとして君臨していて、まさしくいなければならない選手でしたよね。今でもシアトル市民から愛され尊敬される存在で、引退した今では、シアトル・マリナーズでチームのインストラクターの役職についています。ゴジラ松井は、NYヤンキースという歴史と伝統の超人気チームに移籍して、デレク・ジータやAロッド、バーニー・ウイリアムスなどの超一流の打者たちと伍する活躍を見せてくれました。スター揃いのチームの中でも存在感は際立っていて、辛口で知られるニューヨーカー達の心をがっちり掴んでいましたよね。ピンストライプのユニフォームが、本当に似合っていましたよね。2009年のワールドシリーズでは、ヘッドハンター(ビンボールまがいの内角攻めをする投手)ペドロ・マルティネスからホームランをかっ飛ばして、チャンピオンズリングとシリーズMVPを手中に収めました。ビッグフライ・オオタニサンについては、語る必要はありませんよね。投打走塁いずれも超一流で、チームになくてはならない人物として、アナハイムだけでなく全米中、全世界からのリスペクトを集めていますよね。今季LAドジャーズと結んだ10年総額7億ドルの契約は、FCバルセロナ時代のメッシを超えてプロスポーツ史上最高額の契約ということで、世間からの注目を集めていましたよね。

 今あげた3選手は、正真正銘のスーパースターですよね。余計なお世話と怒られそうなのですが、私は、彼らの様な偉大な人物は、どの様に育ってきたのだろうかという事を考えてしまいました。本来、私如き取るに足らない人間が、この様な素晴らしい人達について論評することは、無礼で恥知らずな行為で慎むべき事なのですが、誰も読んでいないこのブログなので許してもらおうと思います(イチローさん、松井さん、大谷さん、ごめんなさい)。イチロー選手は、幼いころから父親から野球の厳しい指導を受けていたそうです。小・中学校時代にリトルリーグの練習後、近所のバッティングセンターで閉店まで毎日打ち込んでいたというエピソードは有名ですよね。彼の抜群のスピードと独特な振り子打法、そして野球の向き合うストイックな態度は、お父様と二人三脚で創り上げて来たという事が窺えるエピソードですよね。このエピソードから、私はイチローさんとチチローさんの関係について、巨人の星の星飛雄馬少年と一徹親父の関係を思い浮かべてしまいました。誤解のない様に、チチロー氏は一徹親父の様な気が狂った男ではない事を一言申し添えておきます。一方、松井選手の少年時代からは、ドカベン山田太郎の家族が思い浮かびます。ドカベン山田太郎は、幼いころに両親を亡くして、おじいさん(じっちゃん)に育てられました。腕のいい畳職人だったじっちゃんは、実直に生きていく事を、身をもってドカベン太郎に教えていた様に思います。そんな生活が、名選手になっても、驕らず、謙虚に、素直な、そして常に努力し続ける、そういった素晴らしい人格をもたらしたのでしょうね。松井さんのお父様は、北陸で有名な宗教家なのだそうです。そして松井選手は、そのお父様から、礼儀・礼節や生き方・生活態度全般といった、いわゆる「人としてどの様に生きるのか」という道徳的な事を学んで成長してきた様に思います。その様な豊かな精神性を持って名選手に成長していったというところに、山田太郎との共通点を感じてしまうのです。

 大谷選手の場合は、お父様が所属していた少年野球チームの監督であったという事からイチローさんとの共通点を想像してしまいますが、少々異なるところがある様ですね。大谷選手のご両親は、子供に朗らかに育って欲しいという願いから、出来る限り家庭を明るい雰囲気に保つように努力していたそうです。野球の練習も、決して無理強いなどはせずに、自分で考えて行動できるように気を配っていた様ですね。決して野球エリートではなくて、ごく普通の家庭で育ってきた事を想像してしまいます。もちろん野球の基礎はお父様の指導の賜物なのですが、特筆すべきは、野球ノートの存在だと言われています。野球ノートとは、大谷選手と監督であるお父様との間で行われていた連絡ノートの事で、大谷選手がその日の練習の反省点や課題を書いて、お父様がそれに答えてアドバイスや評価を書くという、一種の交換日記の様なものだと言われています。この様に自分で考えた事を書いて、それを実践するという行為は、心と体が共に成長する為の重要なエクササイズとなった事と思いますね。そしてその積み重ねが、後に有名になった、大谷選手のマンダラ・チャートと呼ばれる目標管理シートに繋がっている様に思えます。マンダラ・シートとは、自分の夢・最終目標と、その為に必要な行動を書いた9つの四角形のまわりに、実現する為の具体的な行動を書いた9つの四角形で取り囲んだ、曼荼羅のようなチャートの事です。大谷さんは、高校の監督からの提案でこのチャートを作成したそうです。自分の夢を実現する為に自分は何をすればいいのかという事を考えて、その為の具体的な行動を高校生の頃から意識して行っていたという事にびっくりしてしまいますよね。大谷選手が今でも時折見せてくれる、グランドのゴミを拾うという仕草も、ちゃんとこのチャートに書かれていて(それは運という項目を達成するための行動として書かれています)、大谷さんが高校生の頃から律して来た事を、今でも意識して行動している事が良く分かりますよね。

 大谷選手は、今や世界中の野球ファンからの尊敬と敬意を集める野球界のスーパースターとなりました。確かに彼は、フィジカルも技術もそして人間性も、ついでに加えて知性まで、何もかもが超一流の、スーパーマンの様な人物ですよね。しかし、彼のエピソードを見ていると、大谷さんが特別な人間で、特別な背景を持って、何かの突然変異で登場して来たのではない事が良く分かります。大谷さんは、明るくあたたかなご家庭の下で、とても仲が良いご両親を自らのお手本にして、伸び伸びと育ってきたのだと思います。そんな周囲の環境と理解に加えて、自分がどうあるべきなのかという事を考えながら、決めた事はきちんとやり抜くという、一見簡単そうだけれどなかなかに難しい事をきちんと行って来た事が、現在の大谷翔平という素晴らしいパーソナリティーを創り上げたのだと思います。こうした日々の積み重ねが、自分を高めてくれる大切な人との良い出会いや、素晴らしいチャンスを連れて来てくれると思うのです。ここ数年、世界はどうしょうもない有様で、悲惨なニュースが毎日報じられて、気が滅入ってしまいます。「人間はどうしょうもない生き物で、この世の中に希望は持てないなあ」と、私は絶望していました。しかし、大谷さんの存在で、私は救われたような気持になりました。大谷さんの活躍を追いかけていて、その背後にある(と勝手に私が思っている)大切な何かに思い寄せると、「人間も捨てたものじゃあないよね」と感じられるのです。そして、「この悲惨な世界も、なんとか立ち直るのではないかなあ」と、勝手に楽観的になってしまったのです。

「”Heroes”」:夢に向かって行動する事、その目的の為にやり続ける事の積み重ね。その事がいつか扉を開いてくれる・・・。

「Heroes」は、David Bowieが1977年に発表した同名のアルバム(邦題は英雄夢物語)に収録された曲です。デビッド・ボウイは、ミュージシャンとしてだけでなく、俳優やクリエーターとしても有名で、マルチな才能をもったアーティストでした。戦場のメリークリスマスでは、ローレンス大佐を演じていましたよね。この曲は、東西分断されていた冷戦下の西ベルリンで作られました。分断を象徴する壁に対して愛を歌った曲であると言われています。歌詞の中にも、壁際で、銃弾が飛び交う中で、愛を語り合う恋人の事が歌われています。実際、1987年に、西ベルリンの壁近くで行われたコンサートで、ボウイさんが壁の東側に向かって「僕らは英雄になれるんだ。僕らなら奴らを倒せるんだ!」とこの曲を歌いあげて、壁の向こう側の若者たちに大きなインパクトを与えたのだそうです。そしてその後の壁崩壊へつながる切っ掛けのひとつになったと言われています。その事は、2016年ボウイが亡くなった時に、時のドイツ政府から、「ベルリンの壁崩壊への助力をありがとう」というツイートが為された事からも明らかです。この曲には、括弧つきのダブルクォーテーションマークがついています。その事で様々な解釈が為されています。決してポジティブな意味ばかりではないとボウイ先生も語っていたようです。しかし、私としてはポジティブに捉えたいですね。世界中の解決できない課題や分断の壁を打ち壊してくれる「“Heroes”」の登場を期待したいですね。それは、一人の人間である必要はなくて、優しさや思いやりといった高い精神性や、寛容で包容力を持った人々の集合体であればいい、そんなふうに考えてしまいます。そして、この曲が世界を変える一助となった様に、人々の模範となる「”英雄”」の存在が、世界を良い方に変えていってくれるのではないかと願って止まないのです。

このような駄文を最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

皆様にとって明日が今日より良い日となりますように。

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