甘い誘惑 -Waiting For An Alibi-
2月の声を聞くと、世の女性達がそわそわし出して、例のあの日がまたやって来ます。そうです。私の様なモテない男にとっては忌まわしい一日、St Valentin’s Dayです。私は近年この日が近づく度に、普段文句ばかり垂れているジェンダー活動家様達が、何故「差別です!」なんて言って騒がないのか、常々不思議に思っていました。あの人達の日頃の行いを考えると、国会議事堂前で、「チョコは男も買え~!差別をやめろ~!」なんて叫びながらデモ行進なんぞをやってしまっても不思議ではないのですが、どうやら一緒になって楽しんでいるご様子で、世の不条理を感じてしまいますよね。ちなみに革命的非モテ同盟なんて集団が「バレンタインデー粉砕デモ」なんて活動をしているみたいですが、世の中の誰にも相手にされず、殆ど無視されている様です。しかしちょっと調べてみると、一部の花屋や百貨店などが、「バレンタインデーには男性から女性にプレゼントを!」というけしからん事を企んでいて、宣伝活動をおっ始めてしまっている様子で、とても心配です。私の様な義理チョコ人生を歩んできた可哀想な男達にとって、そんな習慣が定着してしまうと、バレンタインデーにはプレゼントを贈らないといけなくなるわ、ホワイトデーには義理チョコのお返しをしなければならないわという事で、大変面倒くさい事態になってしまうので、この様なくだらない企みは、何とか闇へと葬り去って欲しいと心から願っています。
バレンタインデーの歴史は、西暦296年、古代ローマ帝国の時代に遡ります。時の皇帝クラウディヌスは、血の気の多い王様で、世の男性が戦争に行きたがらないのは、恋人や奥さんと別れたがらない為だという変な理屈を思いついて、なんと結婚を禁止してしまったのだそうです。これを不憫に思ったキリスト教の司祭バレンタイン(バレンティヌス・バレンチノ)は、秘密裏にカップルの結婚式を行って、それが皇帝に露呈した為に処刑されてしまいました。処刑された日が2月14日であった為、世の恋人たちがバレンタイン司教への感謝を示す日としてSt Valentin’s Dayを祝う習慣が始まったと言われています。元々はキリスト教のお祭りだったのですね。海外の国々では、男性から女性に花束やジュエリーなどのプレゼントを贈ってバレンタインデーを祝う日となっている様です。イタリアなどでは、この日は、気障男達が真紅の薔薇の花束を持参して、女性に愛を囁く日という事になっている様です。流石に根っから陽気で、軽薄で、スケベな国で、ジローラモも面目躍如といった所ですね。バレンタインデーに女性が意中の男性にチョコレートを贈るという風習は、日本独特の風習で、菓子屋の陰謀がその起源となっている事が知られています。1932年に神戸の老舗有名洋菓子店「モロゾフ」が、外国人向け英字新聞にバレンタインデーにチョコレートを贈りましょうという広告を掲載した事が、この忌まわしい習慣の始まりなのだそうです。その後の事は皆さんご存じの通り、チョコレートメーカー、お菓子屋さん、百貨店等々、関係者一同様が悪知恵をこらして・・もとい、創意工夫の末に今日の隆盛を迎えています。
私は前述した通り、これまでの人生ひたすら義理チョコ街道を歩んでいました。思いを巡らせると、多感な高校生の時の忌まわしい思い出が鮮やかに蘇って来ます。私が通っていた高校は、男子率70%という男くさい学校で、只でさえ女子が少ない中チョコレート様達は必然的に、バンドをやっていた男前や、バスケット部のエースプレイヤー、美術部の物静かでミステリアスな美少年などにお集まりになられていたものでした。私と言えば、下駄箱で、私の足裏の皮脂と汚水の様な分泌液がタップリ染み込んだadidasスーパースターの中に、部活のマネージャーが何の配慮もなく放り込んだ“不二家のパラソルチョコレート”と“チロルチョコレート”が嫌な臭いに包まれて裸でねじ込まれているという、義理と言うにはあまりにも無常でおぞましい有様で、薄ら悲しい経験だったのです。日頃の行いがすこぶるよろしくなかった私の友人達も私と50歩100歩で、世の男前達を呪いながら、「これなら貰わないほうがよっぽどましだよな」などと悪態をつきながら、納豆の臭いがするチョコレートを咽び泣きながら食べていたという忌まわしい思い出の1日なのでした。私達悪ガキ連中は、「いつかはバレンタインデーにチョコレートをがっぽりと貰えるような男になるぞ!」という決意を新たにしていたのですが、結局その後の人生でも、私は相変わらず義理チョコ街道を歩んで行く事になってしまいました。そんな訳で、私にとってバレンタイン様は聖人でもなんでもなくて、只の“いらんことしい”(余計な事ばかりする人)のくそ坊主なのです。
最近のバレンタインデーはすっかり様変わりして、女性が意中の男性に告白をするという本来の目的から逸脱して来ている様ですね。世の女人達は、意中の男性よりむしろ自分へのご褒美として、高価なブランドチョコレートやカリスマ・パティシエのチョコレートなんぞを買って楽しんでいるようですね。若い娘さん達は、友達との間でチョコレートやプレゼントの交換を楽しんでいる様で、それはそれで微笑ましい光景ですよね。逆チョコなんて嘆かわしい行為も、徐々に広がってきている様です。前述した通り、花屋や百貨店は悪だくみを凝らしていて、海外ではバレンタインデーは、男性から女性にプレゼントをする事になっているなんて余計な宣伝を始めています。そして、そんな策略に騙された軽薄な男も、近年増えているようですね。しかし、陽気でスケベでハンサムなイタリア人と違って、割合に陰気でむっつりスケベで醬油を煮しめた様な日本人の男が、赤いバラの花束とチョコレートを持って、女性に「ハッピーバレンタイン」なんて事を言っているのは、どう考えても分不相応で誠に奇怪な光景で、考えただけで恥ずかしくなって赤面してしまいますよね。そして、こんな事が出来る日本人は、「キムタク氏」位しか思い浮かびませんよね。義理チョコ習慣は相変わらずの様で、かつての私の様な、“嫌な臭いがするチロルチョコレート”程ではないにしても、あきらかな義理印の旗を掲げて義理チョコ族の前に登場し続けている様です。そしてコロナ騒ぎが終息を迎えつつある今年のバレンタインデーでは、世の接待親父達が、北新地や祇園、中州や銀座方面からの営業Lineに抗えずに、ちょっと高価な義理チョコを貰う為、何十倍ものお金を落しに現地に向かうことになるのでしょうね。こうして私達は、チョコメーカーやお菓子屋さん、デパートなどの思惑通り、バレンタインデーに驚くほど大量のチョコレートを消費する事になってしまうのでしょう。しかし、それはチョコレートが美味しくて魅力ある食べ物であったからこその話で、私は、「もしチョコレートが沢庵やクサヤの干物の味だったらこんな事にはなってなかっただろうなあ」なんて呑気な事を考えてしまいました。
チョコレートが世の人達あまねく好まれる理由は、カカオの芳醇な香りをまとった豊かな風味と上品な美味しさであると思うのですが、本質的には「甘い」からですよね。ビターチョコが好きだなんて粋がっている人もいますが、そんな人でも甘いチョコが嫌いではない筈です。何故私達は「甘さ」を好むのか?その答えは明らかになっています。それは、私達の脳が、甘さを欲しているからなのです。甘さは砂糖、すなわち糖質=ブドウ糖から由来しています。このブドウ糖は、皆さんご承知の通り私達の体のエネルギー源です。そして脳は、ブドウ糖以外の栄養素は受け付けない事になっていて、まさに私達の生命活動の源泉となっています。ちなみに私達の体内のブドウ糖消費量の25%は脳が利用していて、ブドウ糖がなくなれば、5分で脳は死んでしまうのだそうです。皆さんも頭を使った後、猛烈に甘いものを欲する事があるかと思います。私も、麻雀の最中や競馬の予想の後、そして柄にもなく数独なんて事をやっている時に、猛烈に甘いものが欲しくなる時があります。しかしながら、役に立つ物にはリスクは付き物で、ブドウ糖にはエネルギー源としての働きと同時に糖化ストレスという反応を生体に及ぼす事が知られています。血管の中を浮遊しているブドウ糖はタンパク質と反応して酸化ストレスを様々な組織に及ぼして、組織の劣化、特に血管壁の劣化を引き起こす事が知られています。よく言われている所の動脈硬化ですよね。そしてブドウ糖は、脳が欲している物質なので、依存症との密接な関連が、近年提唱されています。脳の血管には、血液脳関門という関所があって、物質の通過が制限されています。当然ブドウ糖は通過する事が出来ますが、実はアルコールやニコチン、カフェインという成分も通過する事が出来るのです。(なんとあの恐ろしいヘロインも!)いずれも依存症とは仲良しの物質ばかりですよね。近年、「砂糖依存症」についても研究が進んでいて、依存症で苦しむ人は、お酒やタバコと同様に少なからず存在する様です。つまり私達が大好きな「甘いもの」は、脳にとっては必須の存在ですが、血管にとっては忌むべき劇薬で、その上依存症まで引き起こすという、恐るべき毒物なのですね。
私達がサルから人間に進化したのは、この「甘さ」という禁断の果実を知ってしまったからなのだそうです。大昔、私たちの祖先は、火を使う事を知らずに、食べ物は生で食べていました。ある時、ご先祖様は、偶然に火と出会って(山火事や自然発火と言われています)、加熱した食べ物が柔らかくなり、そして美味しくなる事を知ってしまいました。加熱する事で、食物は甘さが大幅にアップするのです。そして同時に加熱した食物は、ブドウ糖の吸収率が上昇します。ブドウ糖は脳で、ドパミンやセロトニンなどの喜び物質を放出する事が知られています。甘みの虜になったご先祖様は、加熱した食物ばかり食べる様になって、段々歯が変化していくと共に顎の骨が退化していって、頭蓋骨の形状も脳の容積が大きくなる様な変化をして来ました。人間の脳の進化は道具と火の利用がその要因であると言われていますが、そこには「甘さ」が大きく関与していたのですね。
「甘さ」は血管の大敵であると散々ディスってきましたが、チョコレートの原材料であるカカオマスにはポリフェノールが豊富に含まれています。皆さんご存じのとおり、ポリフェノールには老化を抑える作用や動脈硬化を抑える効果があると言われています。それはポリフェノールには抗酸化作用(酸化ストレスを軽減する作用)がある為だと言われていて、甘さによる糖化ストレスとは相反する作用となっています。そして適度な量のチョコレートは、むしろ健康にはいいという事が認知されています。チョコレートには、「絶世の美女が実はとんでもない悪女だった」、或いは、「清楚なお嬢様が実は魔性の女だった」といった怪しげな魅力があります。それは、チョコレートが持っている、ポリフェノールによる良い影響、甘さが持つ、必要性と毒性の相反した作用、そういった混沌としたあれやこれやが、人々を引き付けるからなのかもしれませんね。私も、散々バレンタインデーに悪態をついて来ましたが、実はチョコレートが大好きです。チョコレートの中でもアーモンドチョコが一番好きですね。眠れない夜、徒然に、抑えた音量でビル・エバンスなんぞを聞きながら、アーモンドチョコを齧ってブッシュミルズなんぞをロックでちびちび飲んでいるのは至福の時ですね。(そんな強い酒と一緒に食べられたら、折角のポリフェノールも台無しですよね)ウイスキーとチョコレートのマリアージュは最高の組み合わせだと思います。言うならば、馬場と鶴田、ドリーとテリーのファンクス兄弟、王と長嶋に掛布と岡田、頼朝と義時に秀吉と官兵衛、まさに無敵のタッグですよね。そんな訳で、私は、チョコレートが世の中の老若男女に好まれるのは、当然だと思っています。散々バレンタインデーに恨み言を書き連ねて来ましたが、白状すると、私は、こういった世の中のお祭り騒ぎは嫌いではありません。只ちょっと拗ねているだけなのです。なんやら同盟みたいな野暮なことは言わないで、バレンタインデーで世の中大いに盛り上がればいいと思っているのです。そして、その晴れの日の主役にチョコレートを抜擢したお菓子業界の皆様の慧眼にも、尊敬の念を抱かずにはいられません。陰謀だの悪だくみだの悪態を垂れていたのは、只のもてない男の僻み根性です。義理チョコ人生への嘆き節も、本当は、“悪臭パラソルチョコレート”も含めてあらゆる義理チョコは、世の中の寛大な女性達からの「日頃の感謝のしるし」だと受け止めていて、逆に感謝しているのです。今年もバレンタインデーは変わらずにやって来ます。私は、大袈裟で大層な事ではあるのですが、感謝の気持ちを忘れずにこの日を迎えて、折角頂いたチョコレートなら、たとえそれが義理であっても有難く頂戴しようと思っているのでした。
Waiting For An Alibi:ある種の後ろめたさを身にまとった禁断の果実。言い訳を探しながらそれを食する背徳感と共に・・・
Waiting For An Alibiはアイルランド出身のグループ、Thin Lizzyが1979年に発表した9枚目のアルバム、“Black Rose”の4曲目に収録されています。バンドのリーダーでソングライターのPhil Lynottが奏でる特徴的なベース・ソロから始まるこの曲は、魅力あふれるメロディーと独特な世界観で表現されたとても恰好がいいリリックの素敵な曲で、40年前に作られたとはとても思えない新しさがあります。この曲ではバレンタイン様(バレンチノ)はケチな賭け屋を営んでいて、言い訳を探しながら賭博にのめり込んでいます。そんな姿が、本当はバレンタインデーを楽しみたいのに、わざとシニカルな態度をとってしまう素直ではない自分と重なる様な気がしてしまいました。私ももういい年なので、周囲から自分がどう見られるかなんて事は気にする必要もなく、素直にそして無邪気にその日を楽しめばいいのですが、自分は幾つになっても”しゃんとしない”しょうもない奴だとつくづく感じてしまいます。こうして下らない事をあれこれと書き散らかしている最中でも、世界では戦火が絶えることがなく、そして貧困で苦しむ多くの国々がある中で、バレンタインデーどころではない沢山の人達がいます。そんな人達の事を頭の隅に残しながらも、変わらずこの日を迎える事が出来る幸せを私は噛みしめていて、それを感謝しながら生きていかなければならないと感じています。何はともあれ皆さん、いらんお世話だとは思いますが、チョコレートの食べ過ぎにはくれぐれもご注意を。甘い誘惑の背後には、動脈硬化と糖尿病という、恐ろしい鬼が潜んでいるのですから。
このような駄文を最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
皆様にとって明日が今日より良い日となりますように。